インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

銀行の窓口が減っていた

かつて銀行の預金通帳というものがありました。いや、いまでもあるはずですけど、私はもうずいぶん前から使わなくなりました。もっぱらパソコンやスマートフォンなどでオンラインの口座を利用しているからです。ふだんはほぼキャッシュレスの生活なので、ATMを利用することもまれです。というわけでキャッシュカードもほとんど使わなくなりました。

気がついたらそういう暮らしになっていました。銀行といえば通帳とハンコと持参で〜とか、平日の三時までしか開いてないから会社を抜け出すのが面倒で〜とか、お若い方には「いったい何を言っているのか」と訝しがられるような時代があったなんて、なんだか自分でも信じられません。銀行の窓口自体、訪れることはほとんどなくなりました。

とはいえ私、二年に一度くらいの頻度で銀行の窓口に出向くことがあります。それは新札(ピン札)をまとめて入手するためです。趣味で続けているお能の月謝は、いつも祝儀袋に新札を入れてお渡ししているのです。利便性からすれば、おそらくお師匠も振り込みのほうが助かるのではないかとも思うのですが、毎月手渡しするというのも含めての伝統芸能のお稽古かなと。こうやって書いてみると説得力はゼロですが。

先日も職場の昼休みに新宿駅周辺の銀行へ出向いたのですが、かつて駅周辺にいくつかあった大手銀行の支店は経費削減と業態変更に伴ってほとんどが移転、あるいはひとところに集約され、かつての風景はかなり様変わりしています。街に残っているのはATMばかり。これも気がついたらそういうことになっていました。

www.yomiuri.co.jp

今回私は、自分の口座を持っている三菱UFJ銀行へ行ったのですが、新宿駅周辺の支店はほとんどが新宿エルタワーの20階だか21階だかに集約されています。ここは地下街から2階まで上がって、さらにエレベーターに乗る必要があり、けっこう面倒です。支店自体もどこか無機質な内装で、窓口ではかなり待たねばならず、ある程度以上の新札入手、つまり紙幣の両替には手数料もかかります。もちろんこれらに異存はないのですが、銀行側からはどことなく「あまり窓口に来ないでほしい」というオーラのようなものが感じられます。

manetatsu.com

かくなるうえは、ATMに新札両替機能がつくといいなと思います。手数料をお支払いしてもいいですから。来年(2024年)上半期にも予定されているという日本銀行券の刷新とともにATMも総入れ替えとなるのでしょうから、その時に機能を追加してもらえたらうれしい……けど、そもそも冠婚葬祭を除けば新札で受け渡しすることそのものの意義がどんどん薄れている昨今、そんなニーズはほとんどないでしょうねえ。


https://www.irasutoya.com/2014/02/atm.html

テレビを見すぎるとバカになる

扇情的なタイトルですみません。いえ、私にも好きなテレビ番組がありますし、娯楽としてのテレビを否定するわけでもないのです。ただ、のべつまくなしに見続けるのだけは頭と身体の健康(私の場合は特に腰)に悪そうだなと思って。だから私は、基本的にテレビ番組は録画して見ることにしています。見たくもないCMをスキップすることもできますし。

以前は家事をしながらニュース番組を流し見することがよくありましたが、これも最近はあまりやらなくなりました。ネットのニュースサイト、例えばChromeのメニューから「ニュース」に飛んで、テレビ局のニュース番組を文字化したものなどを読んでみるとよくわかりますが、テレビのニュースって存外情報量が少ないんですよね。それなら速報性では劣るけれども新聞を読んだほうがいいかなと。

もうずいぶん前のことですが、NHKの『クローズアップ現代』で「日本人の2人に1人が『読書ゼロ』」という特集をやっていました。テレビなどの動画を見続けるインプットと、新聞や本などからの文字によるインプットでは脳における情報処理のしかたが違うという知見が紹介されていてとても興味深いものでした。

qianchong.hatenablog.com

ごくごくかいつまんで言えば、映像によるインプットは、脳が次々に入ってくる情報の意味を理解することのみに追われてしまい、深く考えることをしにくくなるというものです。いっぽう文字によるインプットは、意味を理解した上でさらに自らの記憶や知識と引き合わせながら「どんな色?」「どんな形?」「どんな風景?」「どんな人物?」「どんな状況?」……と次々に想像力を発揮していくので、脳がより活性化するのだというのですね。

実はちょうど、エマニュエル・トッド氏の『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』を読んでいたところでした。高等教育の普及がもたらした反民主主義的な影響(格差や不平等の拡大、あるいはドナルド・トランプの登場に象徴されるような政治的潮流)を論じているところで、余談的にこのような一節が挟まれていました。

もっとも、ある特定要因が、一九五〇年代の米国における知的能力の停滞を引き起こした可能性はある。実際、その時期に、テレビが個人生活・家族生活の中に入り込み、人びとを書き言葉の文化から部分的に引き離したのだ。一九八五年にはすでに、自宅にテレビを所有している人口が、一〇〇〇人当たり二八七人に達していた。私は本書ですでに、思春期以前の集中的読書がホモ・サピエンスの知的能力を高めるということに言及した。集中的読書を放擲したがゆえに頭脳の性能が落ちたとしても、いささかも意外ではない……。(下巻・50ページ)

おおお、この浩瀚かつ謹厳な本書の著者であるトッド氏にして、ここだけはやけにアイロニカルです。しかもその同じ日に、ネットで調べ物をしていて偶然たどり着いた柳瀬尚紀氏と米原万里氏の対談では、読書、なかんずく文学を読むことの重要性と、文学と市場原理とは相容れない部分があるという指摘をしているくだりでこんなお話がありました。シンクロニシティを感じます。

柳瀬―(前略)テレビというものが、あれだけの力をもちながら、ろくなことやらないでしょ。「お前ら馬鹿になれ、馬鹿になれ」っていう番組が九十パーセント以上じゃないですか。
米原―あれも視聴率を追求していると、ああならざるを得ないんですよ。
柳瀬―そうなんです。
米原―楽なほうに楽なほうに流れないと視聴率を稼げないから、そっちへ行くんです。質を問わなくなる。だけど、みんなが見るかというと、そうじゃないんですけどね。
柳瀬―要するに、下種なほうへ、下種なほうへ媚びるというか。
米原―そうです。末梢神経を刺戟して。
柳瀬―仮に、幻想でもいいから、少し世の中を高めましょうよというのはないんですね。
米原―ただ、そういう中で抜きんでようと思ったら、大勢とは別な方向をさぐらないと、抜きんでられないんでしょうね。ときどきすごくいい番組、あるじゃないですか、ドラマにせよ、ドキュメンタリーにせよ。そういうのを見ると、やはりちゃんと作ってます。
三省堂-「ぶっくれっと138・139号」、対談 翻訳と通訳と辞書

わはは。うちでは「テレビを見すぎるとバカになる」というのが合言葉みたいになっているので、我が意を得たりでした。でも米原氏がおっしゃるように、中にはすごくいい番組もあるんですよね。だからやはり録画して、「のべつまくなし」にならないようにするのが大切なのだと思います。

Duolingoに発音レッスンが加わった

けさ、いつものように通勤電車でDuoligoを開いたら、画面の一番下に口を開いたようなアイコンが加わっていました。「英語の音声を学ぼう!」という新しいメニューで、すべての母音と子音が並んでおり、タップするとその発音と代表的な単語の音声を聞くことができます。

さらに「レッスンスタート」をタップすると、似通ったふたつの母音、あるいは子音を聞き分けたり言ってみたりする練習が始まります。例えばこの画面(↓)は子音の[s]と[z]を(一番右は母音の[ɑ]と[ɛ]を)弁別するものです。聞き分けるのは似たような発音の単語を二択で選ぶものや、続けて発音される単語が同じか違うかを判断するものなどがあり、自分で発音するのはこれまでのDuolingoにもあった機能(スピーキング)と同じです。

英語の文章を発音するDuolingoの「スピーキング」は、けっこう曖昧な音でもクリアになってしまうのですが、今回の新しいメニューは単語ひとつだけなので、判定が少々厳しくなっているのかもしれません。ただやはりELSA Speakなどに比べると、かなり甘い判定のような気もしました。

ただ、ひとつ不便だなと思ったのは、任意の子音あるいは母音を選んで練習することはできず、Duolingo任せになっているらしい点です。ですから、何度も同じ組み合わせのレッスンが続いてすぐにつまらなくなってしまいます。Duolingoのプレスリリースにはまだ今回のリニューアルについて何も載っていませんが、今後改善されていくことを期待しています。

強調スニペット

以前「トンカッチの声はどなたなの?」という文章をこのブログに書いたことがありました。NHK Eテレの『ピタゴラスイッチ』でピタゴラ装置の解説をしている「トンカッチ」氏について、その声優さんは誰なんだろうという、まあなんといいますか、他愛のない内容です。

qianchong.hatenablog.com

でも世の中には同じような疑問を持つ方がとても多くいらっしゃると見えて、例えばGoogleで「トンカッチ 誰」などと検索してみると、この文章が「強調スニペット」として表示されます。

強調スニペットという言葉は私もはじめて知りましたが、Googleの解説によればこのような機能だそうです。

Google の検索結果では、通常の形式と異なり、ページへのリンクが表示される前にそのページの内容を示すスニペット(抜粋)が表示されることがあります。このように表示された結果を「強調スニペット」と呼びます。(中略)強調スニペットは、ユーザーの探している情報が見つけやすくなると判断された場合に表示され、実際にリンクをクリックしたときの内容やページに関する説明を見ることができます。モバイルや音声で検索を行うユーザーにとって特に便利な機能です。
Google の強調スニペットの仕組み - Google 検索 ヘルプ

なるほど。しかしこの強調スニペットでは、トンカッチの声が「徳田章氏」ではないかと示唆するかのように薄いブルーの網掛けが施されていますが、実際に私のブログへ飛んでみると、結局誰だかわからないという結論になっているんですよね。強調スニペットへの表示は私の預かり知らぬところでGoogleアルゴリズムによって行われているとはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになります。

Wordle

オンライン英会話で、こちらのボキャブラリー不足を見かねたのか、講師から“Wordle”を勧められました。5文字の英単語をあてるゲームです。

www.nytimes.com

最初は当てずっぽうになにか単語を入力すると、タイルの色でヒントが出されます。緑色はそのアルファベットが含まれておりかつ正しい位置にあることを、黄色は含まれているけれども位置が違うことを、灰色はそのアルファベットが単語に含まれていないことを示しています。

こう書くとなんだか複雑そうですが、やってみると仕組みはとても簡単ですぐに理解できます。ただ、自分でも驚くほど5文字の単語が思いつかないことに気づきました。きょうもやってみました(単語は日ごとに変わるそうです)が、さいわい4列目で正解したものの、3列目に“firth” などという超レアな単語を入力しているあたり(英語に存在しない単語を入力するとはじかれます。)、そして“birth”を思いつかなかったあたり、かなり自らの「ボキャ貧」を反映しています。

毎日1単語を当てるだけのゲームですから、すぐに習慣化できそう。スマートフォンのアプリもいろいろあって、なかには何度も繰り返しゲームできるものもあるようですが、まずはNYTのこちらのアプリで毎日ひとつずつやってみようと思います。

apps.apple.com

アタマの血のめぐりが悪くなっているって

脳ドックを受けてきました。頭部MRIとMRA、それに頸部MRAがセットになった検査です。MRI(磁気共鳴画像撮影法)は以前にも受けたことがあり、その名前も知っていましたが、MRA(磁気共鳴血管撮影法)というのは初めて知りました。MRIもMRAも電磁波によって体内の細胞に含まれる水分を共鳴させることで画像を得るものです。MRAというのは水分のうち血流の信号のみを処理することができて、脳の血管画像が得られるのだとか。

私はもともとやや血圧が高く、時々軽い頭痛もあり、加えて親戚に脳梗塞くも膜下出血で亡くなった人がいます。それに妻も数年前にくも膜下出血で倒れたこともあって、以後こうした脳疾患による機能障害や後遺症ーー高次脳機能障害失語症などーーについては素人ながらいろいろと本を読んできました。

それでやはり脳に関する疾患にはちょっとセンシティブになっているところがあり、これまでにも何度かこうした検査を受けてきました。ブログを見返してみたら、2005年と2014年でした。ほぼ8年から9年ごとに受けていることになります。聞くところによると頭部や頚部のこうした検査を頻繁に行うのは日本くらいのもので、あまり強い磁気を身体に浴びるのもかえって良くないのではないかという意見もあるそうです。

それでも検査を受けることで安心したい気持ちのほうが勝ってしまって、今回もネットで探して受診してきました。全国各地に展開している「スマート脳ドック」というサービスです。ここは「スマート」の名前のとおり一連の流れが本当に便利で、ネットで予約と決済ができ、診断結果と解説もネットで通知されます。以前に受けた2回とくらべて、格段に手軽になっているように感じました。

smartdock.jp

予定時刻に受付を済ませると、すぐ個室の更衣室に案内されます。更衣室自体がひとつのロッカーみたいになっていて、持ち物はすべてここに置いて鍵をかけます。検査着に着替える必要もありませんでした。すぐ検査室に案内され、振動や音などの注意点を聞いて(ご承知のとおりけっこう大きな振動や音が伴います)検査開始。10分ほどで検査終了。全体で30分もかからなかったと思います。検査時間も以前に比べてかなり短くなっているようです。

で、数日後に検査結果が出ました。ウェブサイトのマイページで詳細な解説と画像を見ることができます。私は脳の萎縮などはなく、脳梗塞くも膜下出血などの危険性も見られませんでした。軽い頭痛に関しては、原因となる異常な初見は見当たらないとのこと。ストレスなど精神的なものということでしょうか。

ただ、これまでの2回の検査と違って、軽度の「脳白質病変」が見つかりました。これは脳血管の動脈硬化で引き起こされる病変で、血のめぐりが悪くなっている状態だそうです。「アタマの血のめぐりが悪くなっている」……おおお、インパクトのある言葉です。これは加齢に伴っても起こるものですが、進行が進むと脳卒中認知症になりやすくなると言われているそう。「最大の要因は高血圧」とのことで、加齢と合わせてさもありなんという感じです。日常生活に支障はないけれども、高血圧や生活習慣の改善を行うように勧められました。

まあ歳相応ということですね。生活習慣の方はタバコもお酒もやらないし運動もけっこうしているほうなのでこのまま続けるとして、高血圧は引き続きなんとかしたいものです。減塩なんかはかなり実行しているのですが……あとはやはり、頭痛の原因にもなっているらしいストレス(特に仕事の)を減らすことくらいでしょうか。この改善がいちばん難しいです。

ご縁に呼ばれますように

きのうは職場の学校で卒業式が行われ、二年間一緒に学んできた留学生のみなさんが次のステージに向かって旅立っていきました。この学年は当初コロナ禍の真っ最中でオンライン授業を余儀なくされ、さまざまな困難を乗り越えてこの日を迎えただけに、学生はもちろん教職員にとっても感慨深いものとなりました。

卒業後の進路は、帰国する人、就職する人、進学する人、引き続き日本で就職活動をする人などいろいろ。みなさんの進む先で多くの“緣份(yuánfèn:ご縁)”に恵まれますようにと祈っています。以前にも書いたことがありますが、「ご縁」って、その時その時の自分の「持ち場」あるいは「居場所」で自分は何をなすべきか考え、自分なりに懸命にタスクをこなそうとしている人にしか寄ってこない、あるいは降りてこないものなんですよね。

「俺の本当の居場所はこんなところじゃない」とか「いまはまだ本気出してないだけ」みたいなかんじで腰掛け的な態度でいるあいだは、ご縁はなかなか訪れないのではないか。口幅ったい言い方で恐縮ですけど、これまで何度も転職や失職を繰り返してきた自分の実感です。英語で天職のことを“calling”というそうですが、これはキリスト教的な価値観では神から呼ばれる、つまり天命を受けるみたいな感じなのでしょう。私はとくに宗教を持っていませんが、この“calling”にあたるものが中国語の“緣份”あるいは日本語の「ご縁」なのだと思います。

自分の仕事や、仕事を超えて自分が人生の中でなすべき何事かというものは、おそらく自分の明確な意識のもとに獲得されるものではなく、思いもかけない方向から呼ばれる(calling)形でのご縁によってもたらされるのではないか。もちろん何かの目標を立て、その目標に向かって努力し、ついにはその目標を達成するというプロセスはあります。それは否定しませんし、私だっていま現在もそういう努力→達成というベクトルの中に自分を位置づけています。

それでもなにがしかの人生の節目に至って振り返ってみると、そこには多くのご縁が介在していて、自分が当初思い描いていた達成とは違うところに連れてこられていることを発見するのです。自分としてはもちろんひとつながりの実践や選択の結果ではあるのだけれども、振り返って考えてみれば「なぜここにたどり着いてしまったのかな」という不思議さが残る。スピッツ草野マサムネ氏が『チェリー』で歌っているように「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」のです。ご縁の機微は人智を超えたところにあるように思います。

卒業生のみなさんは、必ずしもみんながみんな理想の進路を手に入れたわけではなく、志望していた大学に合格できなかった人、自分が本当にやってみたい仕事とはちょっと異なる会社に就職した人、就活がうまく行かなくて引き続き日本で探し続ける人(特定活動ビザという在留資格になります)などさまざまです。送り出す側の私としては、よいご縁に呼ばれますようにと祈るとともに、そのためにも自分の持ち場でくさることなく懸命に丁寧に生きてくださいと申し上げたいです。


https://www.irasutoya.com/2018/04/blog-post_401.html

ジャニーズを「消費」してきた私たちも問われている

BBCが先日放送した、ジャニーズ事務所の創業者ジャニー喜多川氏のドキュメンタリーが話題になっています。《Predator: The Secret Scandal of J-Pop(捕食者:Jポップの秘密のスキャンダル)》と題されたこの番組、“Explores the suffocating reality of being a J-pop idol, the influence that Johnny Kitagawa had on the media and exposes the brutal consequences of turning a blind eye.(Jポップのアイドルであることの息苦しい現実、ジャニー喜多川氏がメディアに与えた影響、そして見て見ぬふりをすることの残酷な結末を暴く)”と説明がつけられています。

www.bbc.co.uk


www.youtube.com

YouTubeに上がっているこの3分あまりのダイジェスト映像を見るだけでも、問題の根深さが伝わってきて暗澹たる気持ちになり、同時になんともいたたまれない気持ち、もっと言えば恥のような感覚を味わいました。お金を稼がせてもらっている以上何も言えないということで「公然の秘密」として追求してこなかったメディアの責任はもちろんだけれども、受け手として彼らを「享受」し「消費」してきた我々の意識の欠如も指摘されているのだと思って。

今日発売の『週刊文春』でもこのドキュメンタリーについて報じていて、「文春オンライン」でもその一部が読めます。

bunshun.jp

そのなかでBBCの記者であるモビーン・アザー氏はこう語っています。

事実とわかったにもかかわらず、社会的に問題にされなかったことに衝撃を受けました。彼はジャニーズ事務所を運営することを許され、何十年もの間、国の宝として崇められてきた。掘り下げれば下げるほど、よくわからない話でした。

猛烈な恥ずかしさを感じます。現在は上掲のBBCサイトでこのドキュメンタリーを視聴しようとすると、“BBC iPlayer only works in the UK. Sorry, it’s due to rights issues. ”と表示されますが、3月下旬にはBBCワールドニュースで日本でも放送されるそうです。ぜひ見たいと思います。


https://www.bbc.co.uk/programmes/m001jw7y

職場に「推し」の写真を飾るのはアリ?

ネットで調べ物をしていて、偶然こちらの記事を見つけました。『労政時報』という企業の人事や労務と担当されている方向けの専門誌。私はまったくの門外漢なので存じ上げなかったのですが、1930年創刊という歴史のある雑誌だそうです。記事は労務管理担当者が弁護士の先生にお悩み相談をするというコーナーで、お題は「社員の(職場への)私物の持ち込みを制限することはできるか」。個人的にはなかなか興味深いお題だと思いました。

海外の映画やドラマなんかを見ていると、オフィスの場面でご家族の写真を飾っている場面がありますよね。私はそういうの、こっ恥ずかしくてできないタイプなのですが、特に家族の写真を飾るというのは私たちとは違う文化だなあといつも思います。もちろん日本の我々だって、例えばスマホの壁紙をお子さんの写真にしているなんて方はけっこういますけど(あと、こちらの質問も興味深いものでした↓)。

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それはさておき、家族の写真を職場のデスクまわりに飾るというのも、上掲の雑誌にある「私物の持ち込み」に当たるのかしら。にわかに興味を持ってさらにネットで「職場 私物」などと検索してみると、けっこうな数の議論がヒットしました。しかもおおむね賛成派と反対派に分かれて延々と議論が繰り広げられてきたようです。

www.google.com

個人情報を扱うなどセキュリティの厳しい職場だと、私物の持ち込みという一種の公私混同(?)はかなり厳しく制限されているようです。でも一般的なオフィスでは写真を飾ったり、ぬいぐるみやマスコットみたいなのを置いたり、引き出しにおやつをストックしておいたりなんてのは普通ですよね。うちの職場でも、人によって濃淡はありますが、みなさんいろいろな仕事関係以外のものをデスク周りに置いています。

かくいう私は「濃淡」でいえば淡も淡、机の上にはパソコン以外ほとんど何も置いていません。というか、あまりに何も置かないので「この人は退職されたんですか?」と言われそうな勢い。でもこれは私がもともとかなり「ずぼら」な性格で、放置しておくとどんどん散らかってくるので、意図的に物を置かないようにしているというだけのことです。「業務に関係ないものを持ち込むべきではない」などと言う気はまったくないですし、他の方がいろいろと置かれているのも気になりません。

そうやってつらつら考えていてひとつ気になったのは、いわゆる「推し」の写真を飾るという場合です。あ、もちろん私は「推し」の写真、それが韓流アイドルであれ、はたまたカワイイ動物であれ、アメコミのキャラであれ、何を飾ろうと自由だと思っています。それで癒やされて仕事がはかどったり息抜きができたりすればそれでいいではないかと。

ただ、たとえば私のような初老のおじさんが「なんとか坂」系アイドルの写真をデスクに飾っていたとしたら、ちょっと引いちゃう・引かれちゃうかな。でも同年代の女性が韓流アイドルの写真を飾っていたら、それはまあ「アリ」かなと思っちゃう。そもそも、いまどき性別や性差を持ち出すこと自体があまり意味を持たないと私は考えますが、これはこれでダブルスタンダードだなと思いました。なぜ職場でおじさんがアイドルの写真を飾るのは「ナシ」で、おばさんのそれは「アリ」だと考えるのかな、私は。


https://www.irasutoya.com/2015/10/blog-post_675.html

そのバイタリティがすごい

きのう職場に、中国の方から電話がかかってきました。うちの職場は地域の自治体から委託を受けて、その地域に在住ないしは在職している外国人のために日本語教室を開いています。そのお問い合わせの電話でした。

この日本語教室は参加費の一部を自治体が負担するーーつまりとても安価なので人気があり、新学期を控えたこの時期は問い合わせがたくさん入ります。ただしごくごく初級のレベルしか開講しておらず、定員も限られているため、電話で担当講師がレベルチェックを行って、ある程度話せる方は残念ながらお断りをすることになります。

ところで、きのう電話をかけてこられた中国の方は、まったく日本語が話せませんでした。最初に電話をとった日本語クラスの担当者は、英語は話せるけど中国語は話せないので困ってしまって、それで私に回ってきたのです。その方と日本語クラスの担当者の間に入って私がいろいろと話して、無事にクラスに参加できる運びになって(初級も初級、ゼロレベルですもんね)、手続きを終えました。電話を切ってから私は「この方、いろいろな意味ですごいなあ」と思いました。

この中国の方はご年配の男性で、投資ビザで来日して日本で商売をされているそうです。まったく日本語が話せないのに日本でビジネスをやろうとされることがまずすごいですし(おそらく周囲には話せるスタッフがいるのでしょうけど)、そのうえで日本語を学ぼうと思い立って自治体のこの教室を見つけ、自分で電話をかけてきたというのもすごいです。

最初に電話を受けた担当者によると、この方は初手からすべて中国語で話してきたそうです。「こんにちは」も「ハロー」もなく、最初からとにかく中国語だったと。日本で日本人に電話をかけるのに、日本語も英語もまったく話せないというのに、この度胸。電話を受けた側からすればいささか迷惑ではありますし、なぜ中国語のみで通じると思ったのかも謎ですが、そのチャレンジ精神がすごい。なんてポジティブなんだ……と思うわけです。私だったら怖くてとてもかけられないです。


https://www.irasutoya.com/2016/03/blog-post_95.html

実は私が中国語で対応して、一通り説明が終わってからも、なおも「あんた、中国語はどこで学んだの? 留学? どこの大学で?」などと世間話がしばらく続きました。とにかくすごく明るくて、前向きで、コミュニケーションを取ろうとする姿勢に迷いがないのです。ちょっと無鉄砲すぎではありますけど。

折しもきのう、オンライン英会話の講師から“Your English is better than you tell yourself.”と言われたところでした。おそらく「私の英語はまだまだ拙くて〜」みたいなことばかり私が言っていたからでしょうね。おのれのネガティブさと、あの中国のおじさんのポジティブさ。そのコントラストが痛いくらいに眩しいです。あのくらいのバイタリティがなければ海外で商売なんかできないんだろうなと、私は変に感心してしまったのでした。

英会話の練習にニュース記事を使う

オンライン英会話の“Cambly”で、講師から「“engoo”のDaily Newsを使ってみたら?」とアドバイスをいただいたので、先週から使い始めました。このニュースサイトは同じオンライン英会話サービスである“DMM英会話”や“engoo”*1が提供しているウェブコンテンツなのですが、なんとも太っ腹なことに、同サービスの利用者でなくても無料で使うことができるのです。


https://engoo.com/app/daily-news

“engoo”のDairy Newsは難易度が“Intermediate”のレベル5から“Proficient”のレベル10までに分かれています。私はもちろん、いちばん易しいレベル5からのスタートです。それぞれの記事は、主な語彙とその発音と例文、記事の本文、選択式で答える質問、ディスカッションのお題……という構成になっています。記事の本文の音声がついていたら最高なのですが、そこまでぜいたくを言ってはいけませんね。

このコンテンツを実際にどうやってオンライン英会話で学べばいいかなと思って、何人かの講師に“こういう教材を使ってレッスンをされたことはありますか? 他の方々はどんなふうにニュース記事を使って学ばれていますか?」と率直に聞いてみました。みなさん「もちろん使ったことがある」とおっしゃって、いろいろと提案してくれます。

共通しているのは、①“Vocabulary”で単語を発音し、知らない単語があるかどうかチェックする。②“Article”で記事を音読し、発音をチェックしてもらう。③“Questions”で質問に答える。④“Discussion”と“Further discussion”でお題に従って会話する……ということで、まあ当然といえば当然の流れです。

これまでに何度かこの流れでレッスンを受けました。なかにはディスカッションのお題から離れてご自分のことをいろいろ話す講師もいましたけど、けさ担当してくださった講師はなかなかに厳しくて(厳しいの、歓迎!)、単語のところでその単語を使った短文を作るよう指示されました。中国語で散々っぱらやらされた“造句”ですね。懐かしい。記事の音読後にもフィードバックをくれましたし、選択式の質問は簡単すぎるからとスキップして、ディスカッションに時間をかけ、さらに時間が余ったからということで、その場でお題を考えて質問してくれました。

やはり講師によってかなり「勉強のさせ方」が異なりますね。でもまあ、多かれ少なかれいろいろと話せるので楽しいです。ニュース記事は基本的に時事を扱っているので、その内容を英語で語るのは私にとってはかなり難しいタスクですが、しばらく続けてみようと思います。

最初は一週間ずつ違う記事に移っていこうかな、そうすれば語彙量もどんどん増えるだろうしと考えていたのですが、もう少し長いスパンで同じ記事を何度も繰り返し使ってみることにしました。いまはまだ予習段階で作ったメモをちらちら見ながら話しているのですが、そういうメモを見ずに話せるようになったら次の新しい記事に移る……くらいの歩みがいいかなと思って。

*1:このふたつのオンライン英会話がどういう関係なのかよく知らなかったのですが、こちらのプレスリリースによると、「DMM英会話」がグローバル展開するために新たに作ったブランドが「engoo」なのだそうです。

社畜体質と言われても通勤が好き

昨日は非常勤で働いている学校の、今学期最後の授業日でした。この学校ではコロナ禍に入ってからすべての授業がオンラインで行われています。私は授業をするために毎回東京都心にある学校に出かけ、学校の教室からオンライン授業をしています。

せっかくのオンライン授業なのですから、ほんとうは自宅からやればいいのです。交通費もかかりませんし。現に他の先生方は全員ご自宅から授業にアクセスされています。私のように毎回都心まで出かけていって、ガランとした学校の教室からオンライン授業をやっているなんて、どこまでアナログで非効率な人間なのかとお叱りを受けそうです。

でも仕方がないのです。

私の自宅はとにかく「激狭」でリビングと寝室の二部屋しかなく、土曜日は妻も家にいますから自宅からオンライン授業をするのはかなり無理があります。加えて大勢の生徒さんが入ってくるzoomで、音声や映像も駆使しながら授業をやっているので、やはり自宅のWi-Fi環境ではいささか不安です。実際、コロナ禍の最初の頃に自宅でオンライン授業をやっていて接続が不安定になり、授業ができなかったことがありました。

他の先生方はたぶんご自身のお部屋や書斎や仕事場をお持ちなのだろうと思います。羨ましいけれど、仕方がないです。でも実のところ、定期的にスーツを着て、ネクタイを締めて、電車に乗って都心に出かけ、教務のスタッフの方々と会話をし、仕事をしてまた自宅に戻ってくるというこのサイクルを、私はそんなに悪いものでもないなと思っています。

人見知り、かつ人混みがとても苦手な人間なので矛盾しているようですが、コロナ禍の三年間で改めて思ったのは、自宅にずっとこもっているのは、少なくとも自分にとっては心身ともに良くない影響をもたらすものだなということでした。「改めて」というのは、かつてフリーランスで翻訳の仕事を自宅でやっていた頃にも同じようなことを感じたからです。

自宅はとても気楽だけれど、私のような人間は定期的に着替えて、外出して、動き回りながら仕事をしていないと、どんどん心と身体が鈍重なものに感じられてくるのです。時代に逆行している感が半端ないですし、社畜体質と言われればそれまでですけど、私は通勤するのが好きです。


https://www.irasutoya.com/2015/09/blog-post_62.html

ずっと自宅で座りっぱなしというのが、長年の悩みである腰痛にも良くないということもあります。都心に通勤しながら、自分の行動を仔細に観察してみるとわかりますけど、結構な距離を歩き、階段を上り下りし、あちこちに注意を向けて判断することを繰り返しています。こういう刺激はけっこう大切なんじゃないかと思うのです。

もうひとつ、私は通勤時間はすべて語学アプリでの練習にあてると決めています。何事にも飽きやすい自分としては、これもかなり大切な時間になっています。もちろん自宅にいてもできるんですけど、なぜか自宅の落ち着いた環境では定期的に練習する気が起きないのです。通勤ってルーチンワークだから、そこに別のルーチンをはめ込むのはたやすいんですよね。習慣化しやすいといいますか。

常勤で働いている学校では、春の新学期から在宅勤務やオンライン授業が一切なくなり、学生の登校時に「密」を避けるという理由で継続されてきた時差カリキュラム(通常の始業時間より一時間遅く始める)も撤廃されることが決まりました。先生方の中にはこれを嘆いて「リハビリが必要」などとおっしゃっている方もいますが、私は内心ホッとしています。

フィンランド語 184 …星座

フィンランド語のオンライン教室でリスニングの課題をやっていたら、他はよく分かるのに一箇所だけまったく聞き取れない部分がありました。よくよく聞いてみると、相手の星座を尋ねているのでした。“horoskooppimerkki(ホロスコーッピメルッキ:星座)”という言葉が全然入ってきませんでした。

外来語の「ホロスコープ」という言葉は知っているし、“merkki(印・記号・サイン・マーク)”というフィンランド語の単語もおなじみなのに、まったく聞き取れなかったということは、自分の中でこの単語「ホロスコープ」の存在が薄いからなんでしょうね。なにせ私は星占いというものをまったく信じていない人間なものですから……。

でもリスニング教材に出てきたフィンランドの人々は、楽しそうに星座の話題を話していました。この際ですからフレーズと一緒に星座名のフィンランド語も覚えてしまおうと思います(ついでに英語も)。自分からは使わなくても、人が言っているのを聞き取れる必要はありますよね。

Mikä on horoskooppimerkkisi?
Oinas. Se paras.
Minä olen skorpioni.
あなたの星座はなんですか?
牡羊座です。いちばんいい(星座)です。
私は蠍座です。

フィンランド 英語 日本語
Oinas Aries 牡羊座
Härkä Taurus 牡牛座
Kaksonen Gemini 双子座
Rapu Cancer 蟹座
Leijona Leo 獅子座
Neitsyt Virgo 乙女座
Vaaka Libra 天秤座
Skorpioni Scorpio 蠍座
Jousimies Sagittarius 射手座
Kauris Capricorn 山羊座
Vesimies Aquarius 水瓶座
Kalat Pisces 魚座

毎度のことながら、これらフィンランド語の語彙の、「英語からの類推のきかなさ」といったら。獅子座と蠍座以外はぜんぜん違う系統の言葉であることがわかります。だからおもしろいんですけど。


https://www.irasutoya.com/2014/05/blog-post_4379.html

合作社の滷肉飯

台湾の留学生諸君から「東京で台湾料理を食べると、どこか違うなあと思ってしまうけれど、これは本当に懐かしい味!」とおすすめされていた新宿の「合作社」に行ってきました(ほかにも支店があるそうです)。


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メニューには滷肉飯(魯肉飯)や雞排、豆花や奶茶など、台湾のB級グルメがたくさん並んでいて、なるほどこれは本格的です。 お店自体はすごく狭いので、ゆっくり食事をするというよりは軽食をかきこむような感じで、屋台の延長という雰囲気。でも店内には台湾ポップスのBGMが流れ、お客さんからも華語の会話が聞こえてきて、台湾を旅行しているような気分になります。

とりあえず滷肉飯を滷蛋 (煮玉子)つきで頼んでみました。これまでにも東京でこうした台湾風をうたった滷肉飯をあれこれ食べましたが、たしかにここのは台湾現地の味そのままという感じがしました。もともと「さもない」庶民料理の滷肉飯ですから、実際のところ台湾で食べてもお店によってけっこう味が違います。だから断定的なことはいいたくないですが、少なくとも私は本場の味でとてもおいしいと思いました。

ただ、食べ終わってしみじみと感じたのは、やっぱりこれは台湾現地で、その土地の雰囲気に囲まれながら食べてこそ本当においしいのかもしれないということでした。身も蓋もない感想でごめんなさい。やっぱり自分がよく知っている東京の新宿で滷肉飯を食べても、たとえそれがどんなに本場そのままの味であっても、どこか違う感は拭えないものなのだなと。

いやもう、これは究極のないものねだりですね。ああ、また台湾へ旅行に行きたいな〜と思いながらお店を後にしました。

能楽と儺戲

早朝、いつものようにジムでトレーニングしながら台湾の作家・蔣勳氏の講演音声を聞いていたら、中国古代の伝統芸能である“儺戲(nuóxì)”と日本の能楽とのつながりについて話されていて(34分あたりから)、思わずダンベルが止まりました。


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蔣勳氏の講演は、中国古代の人々が自らの祖先に鳥や蛇を仮想したーーそれは人間を超える能力(鳥は空を飛べる、蛇は人を瞬殺できる毒を持っている)があるからーーというお話から、やがてそれが鳳凰や龍を信奉する文化として発展していったというもので、とても興味深かったです。そうした動物への信奉がいわゆる「トーテム」を生み、それが仮面や京劇の隈取りにまでつながっているというお話の中で“儺戲”、そして能が出てくるのです。

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“儺戲”は仮面劇なのですが、同じ仮面劇である日本の能楽と発音が似ていると氏は指摘します。なるほど、「ぬお」と「のう」、確かに似ています。能楽はおよそ650年ほど前に観阿弥世阿弥親子によって大成された芸能ですが、それ以前に存在していた様々な芸能がベースになっているとされています。そうした芸能の中には遠く中国大陸や印度から伝わってきた芸能も含まれているとのことで、“儺戲”もそのルーツのひとつなのかもしれません。試みにネットで検索してみたら、こちらの記事を見つけました。

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では、このような伝統的で神秘的な芸術は、なぜ「能」と呼ばれているのだろう。私は、東京都立大学の中国研究者である渡辺欣雄教授に質問してみた。
渡辺教授は、中国の儺戯(鬼やらい)とかかわりがあるという。中国語の「儺」と「能」の発音が近いだけでなく、その起源、機能、造形、演技のプロセスなどで、両者には共通点が多いからだ。

なるほど、なるほど。ところで、『ドグラ・マグラ』などで有名な作家・夢野久作氏に『能という名前』という短い随筆があって、そこにはこんな話があります。

右に就いて私の師匠である喜多六平太氏は、筆者にコンナ話をした事がある。
「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣がいるそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足がない。だから能の字の下に列火がないのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中で有りとあらゆるものの真似をすると言うのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能と言う獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと言います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね」「能」という名前の由来、もしくは「能」の神髄に関する説明で、これ位穿った要領を得た話はない。東洋哲学式に徹底していると思う。

私はこの随筆を含め、夢野久作氏の能に関するいくつかの文章(青空文庫Kindleなどで読むことができます)が大好きで、折にふれて読み返しています。喜多六平太氏から聞いたというこのお話は、学術的にはスルーされてしまう種類のものかもしれません(明治以前には「猿楽」と呼ばれていたそうですし)。でも私も夢野氏同様、このお話のほうが夢があって、というか能の本質をより言い当てているようで、いいなあと思います。


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