インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

脱・筋トレ思考

先日、通っているジムでたまたま休息時間が重なったお一人から声をかけられました。「ずいぶん筋肉がついてきましたね」。この方はよくジムでお見かけするので私も見知ってはいましたが、お話ししたことはありませんでした。「あ、あの方、またいらしてる」とは思うけれど、それだけ。そう、ジムという場所は基本的に自分一人で自分に向き合う場所ですから、パーソナルトレーニングでトレーナーさんと話す場合を除けば、どなたかとお話しすることはほとんどないんですよね。

その方からは「ベンチプレスなんかも、最初の頃に比べてずいぶんウェイトが上がったんじゃないですか?」とも言われました。私はともかく非力なので、もとより人と比べてどうこうとは思わないようにしようと思ってきたんですけど、見ている方は見ているんですね。素直にうれしかったです。筋トレは、やればやっただけ動かせるウェイトの数値が上がっていきます。つまり成果が目に見える。いままでできていたあれこれが徐々にできなくなっていく私のような中高年にとって、これはこたえられない魅力です。

そんななかで読んだ、平尾剛氏の『脱・筋トレ思考』には、ご自身もラグビー選手として筋トレに取り組んでこられた経験を踏まえてこんなことが書かれていました。

スポーツ界において非科学的で根性論的な指導が当たり前だった時代に、突如として筋トレという鍛錬法が導入された。私がそうだったように、努力が可視化できるこの方法におそらく幾多の選手が飛びついたのは想像に難くない。これまで曖昧にしか捉えられなかった上達の軌跡が目に見えるかたちで示されるのだから、楽しくないわけがない。

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脱・筋トレ思考

たしかにそうなのです。筋トレは数値が上がる、見た目にも筋肉がつくという非常に分かりやすいレベルアップの指標がもたらされるので「ハマる」んですね。と同時に筋トレは、一朝一夕には効果があらわれないというストイックさをも兼ね備えています。長期間にわたる自己抑制も必要……。というわけで昨今では筋トレを運動選手のみならずビジネスパーソンにまで結びつけて、「エリートは筋トレをやっている」的な書籍まで多数出版されています。

私自身は、男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴と腰痛に悩まされた末に「少しは身体をうごかさなきゃ」と始めた筋トレなので、運動選手が行うそれとはずいぶん違うのですが、それでも多少なりとも筋肉がつき、身体の不調が大幅に改善され、さらに数値が上がる楽しさにハマって今日にいたります。ところが、平尾氏のこの本はそんな筋トレに大きな疑問を投げかけているのです。

その理由は多岐にわたるのですが、ごくごく簡単にまとめると、身体を様々なパーツに分け、そのパーツを単純に鍛えて筋肉をつける筋トレは「全身協調性」や「感覚世界への想像力」をないがしろにする、あるいは損なう可能性があり、身体パフォーマンスの向上にはむしろ弊害があるということ。この本ではそうした人間の身体を単純に捉える思考を「筋トレ思考」と名づけ、そこからの脱却という理路をできるだけ明確に言語化しようと努力されています。

複雑性がその本質であるからだをしなやかに練り上げていくためには、その方法もまた複雑になる。筋トレというシンプルなトレーニングだけでは、しなやかなからだはけっして手に入らない。むしろしなやかさを損なう方向に働くことはすでにみた通りである。感覚世界における適切なふるまい方ができなくなるというこの落とし穴は、今一度声を大にして言っておきたい。

終章で発せられているこの警鐘は傾聴に値すると思います。と同時に、この本で警鐘が発せられているその主たる対象は運動選手・アスリートであって、私のような「へたりかけ」の中高年ではないのだろうなという感想も残りました。

本書の後半で大きく紙幅を費やされている「身体知」というテーマについても、その多くは競技や試合におけるアスリートのパフォーマンス向上に主眼が注がれています。その例えとして繰り返し用いられるのは「人混みで人にぶつからずに歩く」という私たちにも身近な場面での身体知なのですが、その先はかなり専門的なアスリート向けの理論が中心です。もう少しスポーツから離れたところでの、アスリートではない私たちのようなものにも具体的なアドバイスがあったらいいなと思いました。

とはいえ、この本の前半には、どうしても筋トレを免れない人に向けての提案がいくつかなされています。

・メニューごとに設定された正しいフォームにこだわらず「ラクに」持ち上げる
・短期的に成果を求めない
・筋トレ後は、その種目における専門的な動きを取り入れる
・筋トレによる筋肉増量中は練習でも試合でも全力でプレーしない(怪我をしやすいから)
・からだの内側から聴こえる「声」に耳を傾ける

3つ目と4つ目の項目からも分かるように、これも基本的にはアスリートに向けての提案ではあるものの、アスリートではない私たちにもある種の示唆を与えてくれます。私はここのところ、ウェイトの数字が上がるというその単純な一面だけに着目しすぎていたような気がします。もっとからだ全体を俯瞰したところからジムでのトレーニングを見直してみようと思いました。