インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

中国には恩がある

私、中国は「大好きだけれど大嫌い」です。「愛憎相半ばする」という言葉がありますけど、中国に留学していた当時から今に至るまで、ずっとそんな感情を抱いて過ごしてきました。中国に留学する前は単に「大好き♥」だったので、やはりこれはかの地に長く暮らしてみてはじめて芽生えた感情です。

Wikipediaの「憎悪」の項には「愛憎相半ばする」について「人は、子供のころは、ある対象に対して愛ばかりを感じたり、反対に憎しみばかりを感じるが(心理学用語で言う「スプリッティング」な状態)、大人になると成長してアンビバレントになり、同じ対象Aに対して、愛情を感じつつも、同時に憎しみを感じる、という状態にもなる」と書かれていました。なるほど、私は中国で多少は「大人」になったわけですね。

しかし「中国が好き」あるいは「中国が嫌い」という言い方は、あまりにも粗雑であるかもしれません。そこで用いられる「中国」は中国という国のことなのか、中国政府のことなのか(それもいつの時代の)、中国文明なのか、中国人なのか、あるいは中国的な世界観なのか、あるいはそれらの具体的にどういった部分についての思いなのか……それを明らかにしないまま中国が好き、あるいは嫌いと言っても、そして人と議論をしてもあまり意味がないように思います。

たまに実家に帰省などすると、家族や親戚の一部から「中国関係の仕事をしているんだって?」に続いて中国への批判的な言葉を聞かされることがあります。それは例えば、現在の香港情勢に絡んでであったり、ウイグル族チベット族への弾圧に憤ってであったり、あるいはもっとプリミティブな予断と偏見であったりするのですが、そんなときにどう返したり対応したりすればいいものかと、いつも戸惑います。

語ろうと思えば、そして予断や偏見や誤解を正そうとすればできるし、やればいいんですけど、いつも徒労感が先に立って苦笑いしながら「いや、中国といっても色々あるからね……」とお茶を濁してしまう。そんな不甲斐ない自分にも腹が立つというか、割り切れない思いを抱いてしまうのです。

今朝の東京新聞に、中国出身の文学者・劉燕子氏へのインタビュー記事が掲載されていました。全文、背筋を正される思いで読みましたが、日本人へ伝えたいこととして「民主主義の貴重さ、一票の尊さ」を考えてほしいということ、そしてこんなことを話されています。

日中は一衣帯水で友好といいますが、本当の友人なら困った人を助けてほしい。前の戦争の贖罪意識に陥って物が言えない人が多いのは知っています。でも不正義に黙っていたら、この罪がさらに加わるのではないでしょうか。

これは痛烈な批判だと思いました。特に私の年代より上の世代の一部には、こうした思考停止に陥っている方は多いようにも感じます。私自身は「友好」だの「一衣帯水」だのという言葉に酔う心性はもうありませんけど、だからといってプリミティブなヘイトにも当然くみしません。私は私の「持ち場」でできることがないかといつも考えています。

私は中国政府の奨学金をいただいて留学の夢をかなえました。それは現在の仕事や暮らしにも深く結びついています。だから中国には恩があります。その恩をどうやって返すか。そのひとつとして、奉職しているいくつかの学校の授業では、教材に様々な立場の華人が発言している実際の音声や映像を使うことを続けてきました。

教室には中国大陸(中華人民共和国)出身・台湾(中華民国)出身の人、さらに中国にルーツを持つ東南アジア出身の人など、様々な華人がいます。せっかくそうした華人圏から離れたいわば「第三者的」な位置にある日本にいるのですから、様々な立場からの発言や主張に接して、よりフラットで公正な視線で自他共に見つめ直してもらえたらいいなと(僭越ながらも)思っているのです。私の「持ち場」ではそういうことができるのではないかと。

政治的な発言もありますし、時には自分が教えられてきた歴史観や価値観とは異なる発言もある。時には学生さんから「センセは台湾が好きなんでしょ」と言われたり、「中国のこうした主張はちょっと……」といった反発や忌避を引き起こすこともあります。そう、これだけネットが発達した現代でも、人間が取捨選択して取り込む情報にはけっこう偏りがあるんですね。そこを意図的に撹拌しようと思っているのです。

それがはたして恩返しになるかどうかは分かりませんが、よりフラットな視線を獲得した華人が増えて、その結果まっとうな批判精神が広まっていったらいいなと思っています。それは長い目で見れば中国にとってもよいことなのではないかと。少なくとも批判、それも善意の批判は、単なるヘイトや悪口とは違って、相手のことをより深く考えるからですよね。

それからもうひとつ。私には知り合いの中国人がたくさんいます。いくら政治や社会の現状が深刻でも、私が単細胞的な「嫌中・反中」あるいはヘイトスピーカーにならないでいられるのは、そうしたひとりひとりの知り合いの顔が浮かぶからです。実際に知らないから、人と人とのつきあいがないから、頭の悪すぎる行動につながっちゃう。私たちはもっと「かの国」を知り、そこの人々とつきあってみるべきだと思います。

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