インタプリタかなくぎ流

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英語でおもてなしってホントに必要?

通勤途中の地下街に「みずほ銀行」のATMコーナーがありまして、そこにはTVモニターも設置されており、同銀行のCMがエンドレスで放映されています。先日通りかかった時に流れていたCMは、こちら。

来年の東京オリパラを見据えて、お寿司屋さんの大将が英会話の勉強に取り組んでいるという設定です。「(海外に)興味なくたって、来年向こうから来ちまうんだから、仕方ねえじゃねえか。そうなったからには、これぞ江戸前っつうのを見せてやんねぇと。見とけよ〜、本番はペラッペラだかんな〜」。わははは、本当にこういう大将がいそうですが、お寿司屋さんに限らず、急増する外国人観光客を「英語でおもてなし」しようと考える方はきっと多いんでしょうね。

しかし、自分がその外国人観光客の立場だったら嬉しいかなと考えてみるに、これは少々「微妙」です。せっかく異国情緒あふれる日本まで旅してきたのに、しかもその国の伝統的な食べ物を出すお店に入ったのに、英語で「ペラッペラ」と色々説明されちゃったら旅情など吹っ飛んでしまいません? え? そんなことない?

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https://www.irasutoya.com/2014/05/blog-post_8123.html

いまや「リンガ・フランカ」たる英語と、自分の母語である日本語を同列には論じられませんが、私は外国へ旅行してその土地のレストランに入って、日本語で応対されたら著しくがっかりしますねえ。観光地などでも片言の日本語で「ヤスイヨ、ヤスイヨ」などと話しかけられることがありますけど、あれほど憤ろしいものはありません。なんでお金を費やしてわざわざ日本から遠く離れた場所までやってきて、奇妙な日本語を聞かされなきゃならんのかと。ま、観光地ってのはそういう場所ですから行かなきゃいいんですけど(実際、私は観光名所にはできるだけ行かないようにしています)。

以前にも書いたことがありますが、こういった「おもてなし」の発想は、いまから半世紀以上前の1964年、前回の東京オリンピックが開催された時に展開され、その後も続けられてきた「グッドウィル・ガイド(善意通訳普及運動)」と同根のものです。そのボランティア精神やよし。もちろん参加されている方の誠意や熱意を疑うものでもありません。でも私は、なぜここで逆に海外の方に日本語を話してもらおう、学んでもらおうという発想にならないのかな、と思うのです。

これは言語学者鈴木孝夫氏らが主張されてきたことですけど、日本に行ったら簡単な日本語くらい話せないとね、とか、日本のお寿司屋さんで日本語で注文してみたいな、とか、そういうふうに思ってもらえる方向にヒト・モノ・カネのリソースを割けないものでしょうか。あと「ガイジンさん=英語」という思い込みも、よく考えてみれば少々雑駁にすぎるのではないかと。

私だって、例えばヨーロッパに行けば結局英語でのコミュニケーションに頼らざるを得ないんですから、あまり御大層なことは言えません。それでも、英語がほぼ通じない田舎の食堂などで、現地の言葉を急ごしらえで覚えて注文して、それが通じた時の感動は深く胸に刻まれています。全国民こぞってオリパラのために英語を学ぼう! もいいですけど、どうせならそこからもう一歩進んで、日本語を覚えてもらおう!そのために英語を媒介として使う……というような、日本語愛に満ちた運動こそ広がってほしいなと「みずほ銀行」のCMを見て思いました。

なにせ日本語は、話者の数が世界でも十本の指に入る「巨大言語」なんですから、もっと自信を持っていいんじゃないかと。もっともその話者のほとんどがこの島国にギュッと凝縮されているというのがまた面白くも悩ましいところではあるのですが。