インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

能の謡を覚える

職場の学校での文化祭が終わって、後片付けも完了しました。一般教室を使って舞台を設営しているので、片付けが終わってしまうとまた元の見慣れた教室風景が戻ってきます。さっきまで照明が当たり、効果音が流れ、熱演が繰り広げられていたのに、なんだか夢から醒めたようで寂しい気分に。留学生の皆さんからも口々に「終わっちゃって、なんだか残念です」という声が聞かれました。

週末の連休を返上して文化祭の仕事をしていたので、今週後半はゆっくり……したいのですが、いくつか仕事が入っていますし、日曜日はお能の温習会(発表会)が控えています。もうちょっと腰を据えてお稽古したいんですけど、仕方がありません。通勤電車の中で謡を練習し、細君が外出した隙を見計らって仕舞の練習をしています。今回は「邯鄲」「東北」「経政」「女郎花」「雲林院」「半蔀」「春日竜神」の謡と「野守」の仕舞に出ます。

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もとより趣味の能楽ですが、素人の発表会とはいえ能楽堂の舞台を使って行われるのでかなり緊張します。しかもすべての謡を「無本」、つまり謡本を見ないでうたうので、全てを覚えた上で他の地謡のみなさんとも息を合わせなければなりません。みなさんお忙しいので稽古の時に一緒に合わせられるとは限らず、ほとんど本番前に一、二回だけ合わせるとか、下手をすると「ぶっつけ本番」ということにもなりかねません。

まあこれは仕方がありません。というわけで、少なくとも他の方の足を引っ張らないようにと通勤電車の中で謡を練習するわけです。もちろん声には出さず口中でうたっているのですが、興が載ってくると声が漏れているらしく、ときどき車内の乗客から怪訝な視線を向けられることもあります。

謡の文言は日本語とはいえ古文なので、なかなか頭に定着してくれません。それで謡本の字面を目に焼き付けたり、詞章を書いたり、いろいろなことをしてみるのですが、謡には節、つまりメロディーもあるので、語学のフレーズを覚えるのとはまたちょっと違った側面があるような気がします。結局、師匠のお手本の謡を何度も何度も繰り返し聴くしかない、それも聴けば聴くほど(そしてそれに合わせてうたうほど)覚えられるというのが経験則です。

謡が身体に入ってくると、面白いことが起こります。うたっていると、次の詞章が自動的に頭に浮かぶようになるのです。同時にその詞章が語っている内容が一種の風景になって目の前に立ち上がってくる。こういう感覚になるまで繰り返し聴かないと、私の場合は覚えられないみたいです。さっきiTunesのアプリで確かめてみたら、シテ謡を仰せつかっている「邯鄲」はもう百回以上聴いていました。それでようやく、どうにかこうにか定着する(それでもまだ不確かな部分も)のですから、我が脳のなんと非効率なことよと思います。