インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「雨上がり虹かかる」に意味を見出す人々

宮沢賢治氏の『春と修羅』に「報告」というたった二行の短い詩があります。私はこの詩を安野光雅氏の画集で知ったのですが、こんな不思議な作品です。

さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
青空文庫より

私は虹を見かけると単に「きれい〜」という感情以上のものは心に湧きませんが、この詩に出てくる虹には何か不穏で不吉なものを感じます。ネットで調べてみたところ、古来から虹はそれぞれの文明により吉兆とも凶兆ともされてきた面白い現象のようです。確かに、虹がかかる仕組みが解明されていなかった頃は、それをなにか特別な予兆だと人々が捉えたのも無理はないでしょうね。巨大ですし、追いかけていっても追いつかないですし、不意に現れたり消えたりしますし。そういえば「虹」が虫偏だというのも、どことなく「ただならない」感じがします(龍のメタファーらしいです)。

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https://www.irasutoya.com/2016/05/blog-post_281.html

ところが、そんな古代ではない現代の、NHKのウェブニュースで「即位礼正殿の儀の直前 雨上がり虹かかる」という記事を見つけました。ネットで虹を調べている最中にたどり着いたのです。「22日の都内は午前中、天気が崩れ、時折激しく雨が降りましたが『即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀』が行われる直前に雨は上がり、一時青空が見えました。また、同じ頃スカイツリーにあるNHKのカメラは北の方角に虹がかかる映像をとらえました」という短い文章にアナウンスやナレーションが何もない短い映像。私は思わず「だから……?」とつぶやいてしまったのですが、あとからこのシンプル極まりない報道(?)に得も言われぬ感慨がじわじわと湧いてきて、記念にスクリーンショットを撮っておきました。

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これは何気ないようでいてとても興味深い現象です。いえ、雨が上がったとか虹がかかったとかの現象がじゃありません。公共放送局であるNHKがわざわざこれを一本の報道に仕立てて配信したということが、です。だって、儀式の直前に雨が上がり虹がかかったことをわざわざ伝えるのは何のためかといえば、そこに何らかの「価値」を見出したからでしょう? すごいことだ、ありえないことだと思って、そこにニュースバリューを見出したわけですよね。

こんなふうに、人為では如何ともし難い天候が、何かのタイミングで変わった(好転したとか、悪化したとか)とことさらに取り上げるのは、宗教関係ではよく見られるシチュエーションです。私は子供の頃から、母親の影響でとある新興宗教の価値観にどっぷり染まって育った過去があるんですけど、そこでは儀式の前に晴れただの、薫風がそよいだだの、台風が避けてっただの、気温が上がって温もりが訪れただの、とにかく奇跡や奇瑞をやたらに強調していました。でも冷静になって考えてみれば、どれも単なる自然現象で、要は自分に都合の良いように解釈しているだけです(ああ、カルトの洗脳が解けてよかった!)。

qianchong.hatenablog.com

まあ天皇制というものがそもそも一種の宗教性を帯びていますから、むしろ当然の流れなのかもしれませんが、熱狂的な「信者」が盛り上がっているのならともかく、公共放送のNHKがまるで宗教法人の広報誌まがいの報道をするのはどうなのかしらと思いました。NHKだけでなく、ネット上では多くの方が晴れ間や虹に特別な意味を見出していたようですけど、だったらその次の日が抜けるような秋晴れだったのはどう解釈するんですか。

天候は、人々の意思とは全く関係なく動く自然の摂理です。だからこそ人は大自然を前に謙虚にもなれるし、人生における諦念や希望も学ぶことができる。私はそう思っています。