インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「通訳訓練でマスクを外さない」のは是か非か

あちこちの学校で教える立場に立っていると、いろいろな生徒さんに出会います。私が奉職してきたのは主に職業訓練的な学校で、仕事に直結させるスキルを訓練する場所なので、そこに通う生徒さんたちは当然「その職業につくためにはどうすればよいか」を真剣に考えているはずです。ところが、ときどきそれとは真逆の学び方をしている――つまり、とてもその職業につきたいと思っているようには見えない方がいらっしゃるのです。

でもまあこれは、あまりにも功利主義的な見方かもしれません。そして私自身が、かつてそうした職業訓練的学校に通った際、その仕事になんとしてでもつきたいとガツガツしながら学ぶことを良しとしてきた人間だから、そう感じるのかもしれません。例えば通訳学校だったら、通訳者としてデビューできるためにはどうすればよいかを考える。そのために私が重視したのは「講師の先生の覚えがめでたくなる」ことでした。というわけで、私は先生方の様々なアドバイスを素直に愚直に実行していました。

「日頃から現場に出ているつもりで訓練してください」と言われたので、学校には必ずスーツ姿で通っていたというのもそのひとつです。通訳学校の授業は週末に行われていることが多く、生徒さんたちは大概ラフな格好で登校してきます。そのほうがリラックスして訓練できそうですし。でも私は毎回スーツにネクタイで登校していたのです。Tシャツにサンダル履きではいい訳出ができないような気がして。先生のアドバイスを素直にどころか、その先生すら「そこまで言ってない」とおっしゃりそうな勢いですが、通訳者デビューに一歩でも近づけることならすべてやってみようと必死だったのです。

しかも、あわよくば授業後に「今日は午後から現場に出るけど、あなたも来る?」と誘われたい、そのためには常にスーツで望むほうがイザというときに慌てなくて済む……とまで考えていたのは、ここだけの秘密です。まあ、結局そんな機会は一度も訪れなかったんですけど。とまれ、昨今の生徒さんにここまでガツガツした方はいません。みなさんもっと常識的というか、よく言えば自分なりのペースで淡々と、わるく言えば「石にかじりついても」というハングリーさがない、という感じです。

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https://www.irasutoya.com/2016/10/blog-post_719.html

学習のスタイルは人それぞれですから、私がとやかく言うことではないのですが、ひとつだけ昔から解せないのが、通訳訓練なのにマスクをしてきて、それを授業中も外さない方がときどきいらっしゃることです。通訳という作業はまず第一にサービス業ですし、第二に「人様に自分の声を届けてナンボ」の世界なので、マスクをしたままではその作業に大きな支障があると考えるはずなのですが、なぜかマスクを外さない。なかにはかなり大きなマスクで顔の大部分を覆って、目だけ出しているような方もいます。

これは非常に興味深い現象だと思っています。もちろんマスクをするのは、現在風邪をひいているからとか、乾燥気味の気候から通訳者にとって大切な喉を守るためとか、あるいは単に恥ずかしがり屋さんだからとか、その方なりの合理的な理由があるのでしょう。あるいは、ここは訓練の場であり、仕事の現場ではないのだからマスクをしていても構わない(仕事に行ったら当然はずす)と考えているのかもしれません。

でも私は、その「通訳訓練でもマスクを外さないというその方なりの合理的な判断」には何か非常に大きなものが欠けているような気がします。それは通訳という作業が、基本的には人と人とのコミュニケーションの仲立ちをする作業であり、通訳者はコミュニケーションを成立させることに対して人一倍貪欲であるべきだと思うからです。顔の全体を覆ってしまうような大きなマスクの後ろに隠れている姿勢からは、目の前にいる人の言っていることを何としてでも違う言語の人に伝えてあげたいという「熱」のようなものが感じられないのです。

とはいえ、それも私の一方的な決めつけであるかもしれません。先日は、ついに「大きなマスク+深々とかぶった帽子」という方に出会いました。以前はそういう方に対して「訓練なのでマスクと帽子をとってください」と注意していましたが、最近は言わないようにしています。たぶんその方なりの理由があるのでしょうし、あるいは何かの病気の療養中であるとか、そういったケースも考えられますからね。