インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

サウナのあるところ

ヨーナス・バリヘル、ミカ・ホタイネン共同監督の映画『サウナのあるところ』を観ました。サウナに関するフィンランド映画、という情報のみで映画館へ向かったのですが、静謐な雰囲気の中に深い味わいを残す素敵な作品でした。【以下、一部に映画の具体的な内容の記述があります。】

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フィンランド人のサウナ好きは夙に知られていますが、その通りこの映画はほぼ前編がサウナの入浴シーンで綴られています。しかも住宅の家庭用サウナはもちろん、キャンピングカーを改装したサウナ、道端の公衆電話ボックスみたいなサウナ、テントの中に作られたサウナ……ありとあらゆる小さな空間をサウナにし、薪を焚き、石を熱し、お湯をかけて「ロウリュ」をするその「サウナ好きっぷり」に思わず笑みがこぼれました。

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でも映画全体のトーンはどちらかというと重苦しいものです。というのも登場する男性たちが、裸のままで自らの人生、それも挫折あり後悔あり紆余曲折ありの決して順風満帆ではなかった苦い体験を訥々と語っていくのですから。

私は最初、この映画はドキュメンタリーだと認識して映画を観始めたので、男性たちが語るその語り口に少々混乱していました。というのも、明らかにご自身の実体験を語っているようではあるものの、とても饒舌というか、語る内容が豊富というか、とても実況を記録しただけの映像には思えなかったのです。でも、これがもし俳優さんの演技であるとしたら、これはもう真に迫りすぎている……男性たちの表情や涙はとても演技とは思えませんでした。

その疑問は、上映後に行われた舞台挨拶で氷解しました。監督をつとめたお二人と、出演されていた男性たちのうちのお二人、合わせて四人が登壇されたのですが、「どうしてサウナの映画を撮ろうと考えたのですか」という司会者の質問に、ヨーナス・バリヘル監督がご自身のサウナでの体験を紹介していました。

この監督は、タンペレの「Rajaportti sauna(ラヤポルッティ・サウナ)」で、サウナに入っている男性たちが、そばに他人がいるにもかかわらず、結婚や離婚などそれぞれの人生の大切な告白を友人に打ち明ける場面に遭遇したそうです。そこに監督は、サウナの持つ一種の人の心を和らげ解放するような力を感じたとのこと。なるほど、あの「ロウリュ」の蒸気がこもる静かな空間、そして「裸のつきあい」が人間を素直にするというのは私も実体験としてよく分かります。

フィンランドでは、まだまだ「男は黙って……」といった観念、つまり男性は人前で涙や弱みを見せてはいけないという一種の「押し込み」が根強くあるそうで、そんな弱みを見せられない男性が唯一自分を取り戻して素に戻れる場所がサウナなのではないか、それで男性たちに自らの人生を語ってもらう映画を撮ろうと考えた、というわけです。この映画のフィンランド語原題は“Miesten vuoro(男たちの番)”。普段は寡黙な男性たちにスポットライトが当たる出番は、サウナにこそ用意されていたのですね。

ゲストの四人は今回が初来日だそうで、東京のサウナにも入ってきたとのことですが、サウナ室の中にテレビがあってびっくりしたそうです。また、従業員がタオルで熱風を吹きかけるサービス(何故かこれを「ロウリュ」と称したり、あるいは熱波と称したりします。従業員のことを「熱波師」と呼ぶことも)にも。

う〜ん、確かに日本のこうしたサウナとフィンランドのそれとは全く違う施設かもしれません。私もフィンランドの薄暗くて静謐なサウナ室のほうが好きなので、あのテレビや、クラシックや「ど演歌」のBGMなどはいらないかなあと思います。

もう少し静かで、サウナ室内の「人口密度」が低くて、それほど温度は高すぎず、時々焼けた石にお湯をかけつつ、ゆっくりと過ごしながら自分の内面に深く降りていけるようなサウナ。そんなサウナに日本でも入ることができたらいいですね。これはもう、自宅にサウナを作っちゃうしかないですかね。もっともうちは賃貸だから無理ですけど。