インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

不機嫌なSNSについて

何かをはじめる、あるいは何かをやめる。そして、はじめたりやめたりしたその状態を長く保ち続けることができれば「継続は力なり」の「継続」になります。当たり前のことなんですけど、なかなかその力になるほどの継続ができないことのほうが多い。いわゆる三日坊主というやつです。逆に継続して力になってくると、その状態を保たなければ気持ち悪いという心境にいたります。習慣化できた状態とでもいいましょうか。

男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴に絶えきれず、これはもう体を動かすしかないと体幹レーニングや筋トレのパーソナルトレーニングに通いだしてもうすぐ二年になります。最近では週二回程度のパーソナルトレーニングの他に、平日の早朝は「朝活」として職場近くのジムに通っています。最近ではもう、一回でも欠かすとかなり気持ち悪いと思うようになりました。どうやら習慣化は成功したようです。

飲酒も、以前に比べるとかなり減りましたが、全く飲まないというところまでは行っていません。基本的に平日には飲まないというのが定着してきましたけど、あまりに疲れていたり暑かったりすると缶ビールに手が伸びてしまいます。これは酒を飲まないという状態を保たなければ気持ち悪いという心境にはいたっていない、つまりまだ習慣化に成功していないんですね。

SNSは、というより「SNS絶ち」は、だいたい習慣化できたようです。家族や友人との連絡用、つまり純粋なメールアプリとしてしか使っていないLINEとMessengerを除くと、使っているSNSTwitterだけなのですが、これもブログの更新とそのリプライ程度しか使わなくなりました。今ではTwitterで書いたり読んだりしない状態を保つのが心地よくなってきたので、多分このままフェードアウトできると思います。いや、SNSの中毒性というのは思った以上に手強かったです。

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https://www.irasutoya.com/2018/02/sns_12.html

最近はずっと東京の「促イライラ性」とでもいうべきものについて考えているのですが、その流れで書店に平積みになっていた齋藤孝氏の『不機嫌は罪である』を読みました。あわせて齋藤氏が十五年ほど前に書かれた『上機嫌の作法』も読んでみました。この両書はとても似通った内容ですが、最新刊の『不機嫌は罪である』には現代ならではのSNSにおける「新しい不機嫌」について一章が割かれています。

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不機嫌は罪である (角川新書)

齋藤氏いわく「SNSは不機嫌伝達ツールになった」。これは「SNS絶ち」を習慣化しようとしている私にとってはとても腑に落ちる表現でした。確かに、Twitterのタイムラインなど、不機嫌な発言があまりに多いのです。文字数制限のゆえか断言や決めつけや上から目線の発言が多い。もちろんまっとうな意見表明もあるのですが、その多くはいささか「こわもて」であり「自分には正義がある」という雰囲気に満ちています。いや、かつて自分が積極的にツイートしていたときは正にそんな雰囲気でつぶやいていましたから、それを批判する資格などないのですが。

あるいは、そうした断言や決めつけや上から目線や正義の主張でなくても、一種のマウンティングやポジショニングであったり、自己承認欲求が分かりすぎるくらい「だだもれ」であったり……。もともとSNSは、というよりこのブログを含めたほとんどのネット上における書き込みは、それ以前の世界にはあまり存在しなかった極私的な内面世界の発散なんですよね。日記や私小説の公開みたいなもので、ある意味倒錯した行為なんじゃないかと思います。もちろん誰もが自由に発言できるようになったことそれ自体は歓迎すべき変化ではあったのですが。

私は以前からこの「ブログやSNSは本来倒錯した行為」だという感覚から抜けきれず、まずは少しでも独りよがりから脱しようと途中からブログやSNSに書き込む文体を「常体(だ・である)」から「敬体(です・ます)」に変えました。またなるべくネガティブな言辞は書かないこと、批判や批評と悪口は別物であると肝に銘じること、実社会で他人に面と向かって言わないようなことはネットでも書かないことなどを意識してきました。それはそれでうまく機能して、ここ数年は比較的快適にブログやSNSを使ってきたのですが、ここにきて特に、齋藤氏の言葉を借りればSNSの「不機嫌さ」に絶えきれなくなってきたのです。

この本の冒頭にはこんな文章がありました。

現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。

う〜ん、この「不機嫌に侵食される」というのはよく分かるなあ。私のような意思の弱い人間は、Twitterのタイムラインをいったん覗いたら、刺激的なツイートに引き寄せられ、そこについたリプライに脈拍数を押し上げられ、その先のリンクを開いて映像を見たり文章を読んだりして、あっという間に時間を費やしてしまいます。有用な情報も多いですが、それを上回る「心騒がされる」情報、本来自分には必要なかった情報も多い。そして「不機嫌」も。そんな空気に長時間さらされていたら、心身も病もうというものです。

齋藤孝氏はSNSをやらないほか、エゴサーチを自分に禁じているそうです。もちろんネット自体は積極的に活用するものの「自分にまつわる情報は避けるよう徹底している」そう。なるほど、著名人の氏ならではですが、著名ではない私たちにも有益だと思います。私も氏に倣って、このブログの更新をTwitterに上げるのを止めて「SNS絶ち」の習慣化をより強化することにしましょうかね。そしてそのぶんの時間で、積ん読になっている本を読むのです。