インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「失礼しました〜!」に見る日本人的な心性

飲食店内で時々「失礼しました〜!」って声を聞きますよね。店員さんがお皿やお盆やなどを落としたりして大きな音を立てたときに、すかさず言うアレです。私はアレ、とても日本らしい風景だなと思います。少なくともこれまでに訪れたり住んだりした海外では聞いたことがありません(もし日本以外での例をご存じの方、ぜひご教示ください)。

いきなり大きな音を立てるとお客さんがびっくりする。そうやってお客さんをびっくりさせてしまったことに対して、お店として謝る。「失礼しました〜!」にはそういう意味があるんでしょうけど、私が興味深いなと思うのは、この「失礼しました〜!」が結構な大声で、店内じゅうに響き渡るように発せられる点です。

もちろん、何かを落とした音が店内じゅうに響き渡っている手前、それに対する謝罪も店内じゅうのお客さん全てに聞こえなきゃ意味がないという理路なんでしょうけど、あの「失礼しました〜!」はお客に対する謝罪もさることながら、落とした自分への免罪も多分に含まれているような気がします。普段きわめて内向的な日本人がここまで素直に、即過ちを認めて大きな声で謝罪している以上、それ以上のクレームはもう受け付けません的な。これで最前の過ちは帳消しみたいな。

いえ、落として、すぐに謝るのは、とってもいいと思いますよ。大きな声も清々しいと思います。実際、私も若い頃飲食店でアルバイトをしていて、この「失礼しました〜!」を言った(叫んだ)ことがあります。でも言ったときに感じたんです。あ、これは免罪符だなって。物を落とした痛恨のミスを、とっさの大声で跳ね飛ばすような突破力(?)があるんですよね。ここまで素直に率直に大胆に謝罪しちゃっている以上、店長もそれ以上「お前、何やってんだよ」的な叱責を飛ばしにくい。せいぜい「ほら、さっさと片付けちゃって」と指示するくらいが関の山でしょう。

だから「失礼しました〜!」にはどことなく「ズルさ」が潜んでいるような気もします。何でもかんでもすぐ水に流してなかったことにしちゃう心性が隠れていると言ったら、言い過ぎでしょうか。あと、店内じゅうに響く声で一度言ってしまえばそれで済んじゃうというのも、考えてみればとってもお手軽ですよね。たぶん超高級レストランだったら、それぞれのテーブルを回って「先程は失礼いたしました」などと謝るのかもしれません。

私自身は、うっかり物を落とすのは仕方がないことだから、いちいち謝らなくてもいいと思っています。でも先日、昨日も書いたようにカウンター内がほぼ外国人労働者で占められている「丸亀製麺」で、厨房からかなり大きな音がしたんですね。大きなお盆かバットみたいなものをひっくり返したような。

その音にかなりびっくりして、おもわず身がすくむくらいだったんですが「失礼しました〜!」はありませんでした。そのときに私は一瞬「っとにも〜、なんだよ〜」と不満を感じてしまったんです。ふだん「いちいち謝らなくても」と殊勝なことを言っておきながら、実際にその場に出くわすとやはり謝罪を期待する。こういうパターン化された日本人的な心性からはなかなか自由になれません。

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余談ですけど、この「丸亀製麺」で私は「釜玉の並、温玉で混ぜて」と注文したんですが、多分中国系と思しきチーフ的な店員さん(釜からうどんを引き上げる担当)がインド系か中東系とお見受けした店員さんにうどんの丼を手渡しながら手短に「釜玉温玉混ぜ」と指示しました。そしたらその指示を受けた店員さんはなぜか「明太釜玉」を作っちゃった。するとチーフ的な店員さんが「違う!」と叱責して丼を奪い、中身を「ばあっ」と後ろのゴミ箱にあけちゃったんです……。

私はこの一連の流れを見ていて、なんだかとても複雑な心境に陥ってしまい、改めて作って差し出された「釜玉」もあまり美味しくいただけませんでした。これも日本人的な心性からすると、せめて客の見えないところで「ばあっ」ってやってほしいなと思っちゃう。

でもそれはこうやって外国人労働者に頼らざるを得ない社会になりつつある日本社会では詮無い望み、あるいはオーバースペックな接客への要求ということになるのでしょう。感性の異なる(そこに「良い・悪い」はありません)人々と一緒に暮らすというのは、ひょっとしたらこういうことなのかもしれません。