インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

日本統治時代の台湾におけるハンセン病患者隔離政策

昨日、元ハンセン病患者家族への賠償を命じた熊本地裁判決について、政府が控訴しない方針を決め、安倍首相が「異例のことではありますが、控訴をしないことといたしました」と表明しました。「異例のこと」に引っかかりますし(当然のことだと思うので)、参院選におけるポイント稼ぎじゃないのかという意見もありますが、私はひとまずはよかったと思います。

この件に関して、今朝の東京新聞には小さなこんな記事が載っていました。台湾における日本統治時代にもハンセン病患者への隔離政策は行われており、日本政府は日本の患者家族へ正式に謝罪するとともに台湾の患者家族にも謝罪すべきだとする支援団体の訴えを報じたものです。

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この記事を見て、昨年訪れた台湾の離島・澎湖諸島の、そのまた離島の望安嶼の、そのまたまた離島の馬鞍山嶼を思い出しました。

qianchong.hatenablog.com

この小さな島は、日本統治時代に政府が痲瘋病(ハンセン病)の患者を隔離した場所です。患者を棄民したまま、あとは本人の自活に任せたという、かなり非人道的な政策だったと友人が説明してくれました。ネットであれこれ検索するとその通りの記述が見つかりますが、一方でこちらの「Penghu.info」というウェブサイトの説明によると、患者の隔離ではなく「患者に死者が出た場合に、この島に遺棄して何の処理も行われなかった」ということです。いずれにしても非人道的な政策ですが……。

馬鞍嶼為八罩島附近面積最大的無人島,日治時期,水垵及中社兩村若有罹痲瘋病身亡者,便即時入殮,使用小船載運其棺木至該嶼北岩塊西南方的「山坑壁」(即「港仔」),再由多人扛至附近的「哈潭墓」邊,棄置後並未將其埋入地下,人船便即刻駛回。此後全村須斷炊十日,其意乃防範病菌藉由炊煙散播。至台灣光復後已不再採此方式處置,且因治療得當,痲瘋病已近絕跡。

penghu.info

こうした隔離政策は世界のあちこちで行われていました。クレタ島の沖にある「スピナロンガ」もそうですが、こうした離島のそのまた離島といったような場所が使われたんですね。

先日、教材を作成している過程で偶然、こちらの動画がYouTubeにあるのを見つけました。日本による台湾統治は1895年に始まりましたが、それから45年ほどを経て作られた「国策記録映画」です。その間の統治で台湾が(日本によって)いかに発展したかを強調し、日本における台湾の重要性を宣伝するための映画。1940年といえば日本を巡る国際情勢はかなり緊迫して来ていた時期ですが、この映画は(当然ながら)全体にとても明るい前向きなトーンで作られています。

youtu.be

でもこの映画には決して描かれないその影で、タパニー事件や霧社事件があり、また上述のようなハンセン病患者への隔離政策も行われていたわけです。こうした日本統治時代のことを私たち日本人はもっと詳しく知らなければならないと改めて思いました。