インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

僕が夫に出会うまで

七崎良輔氏の『僕が夫に出会うまで』を読みました。築地本願寺で初という同性婚の結婚式を挙げた氏の半生を綴るエッセイ。語り口は笑いあり涙ありとライトですが、ご自身の苦悩や葛藤や失敗までも赤裸々に公開する姿勢からは、世の中が本腰を入れてこの件に向き合ってほしいという強い思いを感じました。

f:id:QianChong:20190707213558j:plain:w200
僕が夫に出会うまで

性的指向に関する知識やリテラシー、いや、もっと根源的に他者のありようについての寛容と共感は、現代に生きる人間にとって必須の資質だと思います。が、この本に登場する一部の学校の先生や警察官の対応の不見識、さらには日本社会の不寛容さには、読みながら少々我を失いそうになるほどの怒りを覚えました。しかもそれが年長者から若い人たちや子供たちに向けての攻撃であればなおさらです。NHKの某番組ではありませんが「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」と一喝したくなります。

いえ、日本だけではありませんね。先日はTwitterのタイムラインで「男の子用」「女の子用」というおもちゃの区別にこだわる親と、それをたしなめる他の大人たちの動画を見て、精神に染みついた固定観念の強さと恐さにあらためて深く考えさせられたところでした。そして自分はそうした不見識や不寛容、固定観念から本当に脱し切れているだろうかと、この本を読みながらあらためて自問したのでした。

七崎氏はこう言います。「気丈に振る舞おうとする子供たちの笑顔の裏にある悲しみや苦しみを、理解できないような大人ならば、そんな人間のアドバイスなどいらない」。この言葉も、現在教師という職業に就いている自分にはとても重い響きを持っています。それでも、この本にはそんな無理解な人を大幅に上回る数の、人の気持ちがわかる人、人の気持ちに寄り添おうとする意志を持っている人がたくさん登場します。苦悩や葛藤や失敗を綴りながらも、この本が一種の爽やかな読後感を与えてくれるのは、そうした人々の存在によるところが大きいのだと思いました。

折しもこの本を読んでいる時に、参院選の公示に合わせたテレビの党首討論公明党の山口代表がLGBTの権利に関する質問で賛意を示さなかったというニュースと、それに対する弁明のツイートに接しました。

ツイートに添えられた弁明の文章を読むと、その場で手を挙げなかった(挙げられなかった)のも無理はないかなと一瞬思いますが、よく考えてみればLGBTの人々であろうと誰であろうと、基本的人権が尊重されるべきという一点だけで「LGBTの法的な権利を認める(かどうか)」という問いにイエスと答えても何の問題もないように思われます。弁明では「『婚姻とは何か』といった、いまだ根本的に解決できていない重い課題が残っている」と述べられているにもかかわらず、このLGBTに関する質問の前にあった「選択的夫婦別姓を認める(かどうか)」という質問には挙手してイエスと答えているのですから。

選択的夫婦別姓は、それを認めることで誰も困らないという点で積極的に肯定されるべきだと思いますが、LGBTの法的権利についても全く同じだと思います。ニュージーランドの国会で同性婚に関する法案が審議された時のモーリス・ウィリアムソン氏の演説でも述べられているように、それを認めても「明日からも太陽が昇る」のです。

youtu.be

「法的な権利」という言葉があったために山口氏は躊躇したのかもしれませんが、諸外国でのLGBTに関する法制化の流れ、とりわけ最近の台湾での事例などからしても、大変失礼ながら勉強不足と言うほかありません。この本もぜひお読みになっていただきたいと思います。