インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

遠い親戚の発言で体調をくずす

何年かに一度、何かの折に親戚が集まることがあります。それは結婚に際してであったり、あるいは葬儀に際してであったりするのですが、そうした集い——遠い親戚筋の人と会うような——に出席すると、そのあと数日は体調がすぐれません。もとより極度の人見知りであるため、そういう遠い親戚と他愛ない話をしたり、一緒に食事をしたりするのがとても苦手なのです。そんなに苦手な場に長時間いることで心身共に疲れ果ててしまうんですね。

人見知りと言ったって、赤の他人ではなく親戚の人々です。まったくの見知らぬ人たちではないのになぜ疲れるのかというと、時にまったく価値観の異なる人がいて、その言動に心揺さぶられる(悪い意味で)からです。全くの他人なら逆にその場で批判することもできますし、金輪際会うまいと決めればよいのですが、親戚筋だとそうもいきません。いや、親戚だろうが何だろうが批判すべきことは批判すべきですが、そこはそれ、その後のあれこれの影響を考えると、いくら短気で「イラチ」な私でもそう簡単に場をぶち壊すこともできません。

特に面倒なのが、私が中国語関係の仕事をしていると知って「いや君には悪いんだけどさ、俺はあの中国って国が大嫌いなんだよね」みたいなヘイト・トークかましてくる御仁です。悪いと思うなら黙っていて欲しいんですけど、日頃せっせと培養してきた黒い情念を吐き出す窓口が見つかったとばかりに、私に話しかけてくるのです。でも具体的に何が嫌いなのかを聞いてみれば、単なる予断と偏見だったりして、なかには中国に一度も行ったことがない人さえいます。逆に仕事や旅行などで中国をよく知った上での発言もありますが、たいがいは二十年も三十年も前の体験を元に話しています。

私は単に中国語を使って仕事をしているだけで、華人でもなければ中華人民共和国の代弁者でもありませんが、たまたま「当事者(?)」が目の前に現れたのでこれ幸いと「ひとこと言ってやろう」的な欲求が発動するのでしょうか。だいたい当事者が目の前にいたら普通は逆に遠慮してそうした言動をはばかるんじゃないかとも思いますが、ヘイト・トークをする人はそのヘイトの矛先にある存在に対しては「何を言っても構わない」と安全装置を解除しちゃう謎の行動パターンを持っていますから、こちらも気が抜けません。

そしてまた私も、そうしたヘイト・トークに毅然と反論することもなく「はは、そうですか……」と苦笑いをしてみたり、あまつさえ「確かに他はさておき、かの国の政治はちょっとどうかと思うこともあって、私もキライです」などと阿諛追従してしまうこともあったりして、あとから激しく後悔の念に苛まされるのです。そりゃその後数日は体調も崩れようというものです。

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https://www.irasutoya.com/2017/07/blog-post_116.html

私は人見知りではありますが、中国に住んでいたときには友人や知人が何人かいました。みなさんいい人でした。もちろん友人以外から手ひどい仕打ちを受けたこともありますし、だまされたことも多々ありますが、それは日本にいても同じこと。中国の知己からは、日本で生まれ日本の環境だけで育つ中で広がりを欠いていた自分のものの見方を大きく広げてもらいましたし、いろいろな人生の糧になることを教えてもらいました。仮に政治の世界がどんなに荒れようとも、私がいわゆる「嫌中」にならないのは、その人たちの顔が脳裏に浮かぶからです。

うん、決めました。遠い親戚筋の心ない言動で数日体調を崩したのちにこうやってブログに愚痴るのはやめて、今度そういうことがあったら空気を一切読まずに「そんなことを言うもんじゃありません」とか「一体いつの話をしてるんですか」などと言うことにします。なに、それで親戚との関係が悪化しても、そもそも数年に一回会うか会わないかの仲ですし、構いやしませんよね。