インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

井上陽水英訳詞集

ロバート・キャンベル氏の『井上陽水英訳詞集』を読みました。書店でたまたま手に取ったのですが、歌詞の原文とその対訳が収められているだけの訳詞集ではなく、翻訳を行う際にキャンベル氏が日本語と英語の間を何度も行き来しながらその言葉の森に分け入って行ったプロセスがつぶさに語られていて、一種の翻訳論になっています。一読、翻訳とはかくも繊細で奥深いものであるのかと改めて驚嘆せざるを得ません。翻訳に興味のある方にもお勧めの一冊です。

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井上陽水英訳詞集

文学の翻訳、とりわけ詩歌の翻訳はもっとも難しい、いや、ほとんど不可能だとされています。それはその言語でしか表現できず、その言語の母語話者でしか受け取ることのできない世界の切り取り方がもっとも繊細な形で表れており、さらに韻が踏まれ、掛詞が使われ、暗喩や隠喩が用いられ、音楽に乗せるための省略が行われるなど、そもそも他の言語に極めて翻訳しにくい要素もたくさん盛り込まれているからです。

井上陽水氏の歌詞に限らず、日本語では主語や主体が曖昧にされることが多く、その一方で英語は、主語はもちろん、単数や複数、性別までも明らかにしなければ文章が成立しにくい言語です。でもキャンベル氏は、だからこそ英語のフィルターを通して、原文の日本語に潜む深い意味を検証し直すことができるかもしれないと、この一見無謀にも思える試みを続け、合計50曲の歌詞を英訳するのです。

英訳のプロセスを細かく説明するその時々に、当の井上陽水氏と行われた対談が差し挟まれているのも面白いです(FMラジオでの対談だったそう)。キャンベル氏の質問に井上氏が改めて自身の歌詞の意味を再検討したり、時には明確に「そういう意味ではない」と解釈を訂正したり……近世・近代日本文学というご自身の専門知識を総動員しながら歌詞と格闘するキャンベル氏もさることながら、ここまで繊細に歌詞を紡ぎ、それを音楽に乗せて少なからぬ名作やヒット曲をいくつも世に送り出している井上氏のすごさにも驚きました。

個人的には、文中の英語の横にカタカナでルビを振ってあるのが面白いと思いました。ふだん、縦書きの日本語に英語の文章が挿入されると、その頭を右側に90度傾けた英文が読みにくくて読書のリズムが狂うのですが、この本では例えば「You too my love —— a rain check.」という英文の横に「ユー トゥ マイ ラブ —— ア レイン チェック」などと縦書きでカタカナのルビが添えられているのです。

必ずしも原音を忠実に表せるわけではないカタカナをあえて添えたのは、少しでも日本の(日本語母語話者の)読者に英語の味わいを分かってもらいたいというキャンベル氏の願いからでしょうか。確かに、使われている英単語は比較的シンプルなものばかりですから、カタカナの音として脳内に響けば(人は黙読している時でも脳内に音を響かせているものです)それだけ訳詞の世界に入り込みやすいような気がします。

この本は、キャンベル氏が大病を得て入院されていた折に、死のリスクと隣り合わせの病床で続けた翻訳をもとに出版されたそうです。そして出版に先立つ昨年、氏はご自身のブログで、自民党衆院議員が性的指向性自認のことを「趣味みたいなもの」と発言したことを受けて「20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た」と公表されたのでした。

robertcampbell.jp

この訳詞集には、キャンベル氏が若き日に日本文学を志し、日本での様々な局面の折々に井上陽水氏の楽曲が共にあったことも綴られています。これは単なる想像ですが、病床でご自身の来し方行く末を考え、かけがえのないパートナーの存在を見つめ直したからこそ、あの公表があったのかもしれません。この本の「はじめに」に添えられた献辞にも、パートナーのお名前が入っています。それ自体とても素敵なことですし、そうした思索や葛藤のプロセスをも追体験させてくれる本書は、井上陽水氏の歌詞同様、優れた文学の名にふさわしいと思います。