インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

“不成熟”な初老の私

私はすでに「初老」と呼ばれてしかるべき年齢です。初老なんて、個人的にはかなり心理的インパクトのある呼称ですけど、NHK放送文化研究所が約十年前に行ったアンケート調査によれば、当時の人々が考える初老の平均年齢は57歳。これには男女差があって、男性の回答だけを平均すると55.5歳だったそうです。ほぼ私の年齢と同じです。

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ただし「ただし寿命が長くなった現代では、『初老』が当てはまるのは60歳ぐらいからと考える人が多くなっています」とのこと。なおかつご自身の年齢が高いほど初老と考える年齢も上がっていくそうですから、現在の平均はもう少し上になるのかもしれません。でも各種辞書では「もともと初老は40歳を指す」とされており、こちらのウェブサイトの、2016年に書かれた記事でも「最近の辞書は、50歳から60歳前後をさすとしているものが多い」となっていますから、やはり私は世間的には初老ということになるのでしょう。

しかし……と悪あがきをするわけではありませんが、私はふだん実年齢よりもかなり若く見られます。特に童顔というわけでもエネルギッシュというわけでもありません。なのに、いま日常的に顔をつきあわせている留学生のみなさんはその大半が20歳代で、私の年齢を知るとたいがいは「ウソでしょ? じゃ、うちの両親よりも年上?」と、なかば何か珍しい動物でも見つめるような目つきをされるのです。

いえいえ、若さを自慢したいわけでもありません。現実には、男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴に苛まされ「健康でなければ死ぬ」くらい体力も気力も失われつつあります。上述のNHK放送文化研究所のサイトには『新明解国語辞典(第六版)』における初老の定義が書いてありますが、「肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じられるおよその時期」って……私など、そろそろ気をつける必要が感じられるどころか、全力で気をつけてないと身体の不調に負けて人生を降りたくなるくらいです。

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https://www.irasutoya.com/2018/07/blog-post_686.html

それに私は、昔から年相応に見られないことが逆にコンプレックスでした。一般に日本の方は男女ともに若く見られることを好む、あるいは望ましいと思う傾向にあるのではないかと思いますが、私がお仕事のフィールドにしている中国語圏では、感覚が少々異なります。なかでも男性、それも中年を過ぎた男性は、若く見られることをあまり好まないというのが私の見立てです。

華人(中国語圏の人々)の男性、ことに中年以降の男性は「中年男性にふさわしい“風格(fēnggé)”」が備わっていないのは“不成熟(bù chéngshú)”だと考えるようです。日本語にも「いい年をして……」という言い方がありますが、齢四十や五十になっても若く見えるというのは、むしろ不名誉なことみたいなんですね。

以前通訳のお仕事で、中国や台湾の「お偉いさん」に同行して各地を回っていたときなど、それとなくやんわりと「中年の男性は年相応の雰囲気がないといかんね」と言われたことがあります。みなさん上品だから、ハッキリ「あんた“不成熟”だね」とは言わないですけど。そういう“成熟”したみなさんは、うん、たしかに外見も物腰も、そしてお腹の出っ張り具合までも中年男性の風格が備わっている……ような気がしました。

しかし“風格”などというものは、意図して装おうとしたって装えるものではありません。結局これは私がいくつになってもあれこれ惑いっぱなしで、腰が据わっていないことに起因するのでしょう。そして自分が年相応の“風格”を持っていないとコンプレックスを抱くこと自体がまさに“不成熟”ということになるんでしょうね。だって本当の成熟した大人なら、そんな「こじらせ方」などとっくに卒業しているはずですから。

齢も50歳を越えれば銀座のお寿司屋さんや青山のワインバーなんかが似合うナイスミドルになれると思っていたのに、全然なれませんし、なれそうな気配すら今のところ見えていないのです。