インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

一連の「浮かれよう」を目の当たりにして

東京都心の上空、昨日はやけにヘリコプターの爆音が聞こえましたが、これはアメリカのトランプ大統領が来日しているからなのかな? ここ数日、通い慣れた都心の街並みのあちこちに普段は見られない警官が立っているのに気づきましたが、これもおそらく警備の強化ということなのでしょう。

それにしても、いくら政治や経済で緊密な関係にあり、軍事的にも同盟を結んでいる国のトップが来日するからって、この国のマスコミはその飛行機の到着から、ホテルの出発から、ゴルフ場での握手から……断続的に報道していてちょっと気味が悪いです。羽田空港でも、エアフォースワンの到着をカメラに収めようと鈴なりの人だかりがしていたのにも、驚きを通り越して気味の悪さを感じました。なるほど、星条旗51番目の星などと揶揄されるわが「state」だけのことはあります。

昨日の朝は作業をしながらTBSテレビの『サンデー・モーニング』をつけていたら、ちょうど千葉県のゴルフ場で安倍首相がトランプ大統領を出迎える光景を生中継していました。番組を中断して延々(大統領がなかなか登場しなかったのです)中継しているものだから、司会の関口宏氏が「これまだ続けます? もういいんじゃないの?」みたいなことをおっしゃっていたのが印象に残りました。共同宣言の発表とかならまだしも、ゴルフ場での握手など、ホント、どーでもいいですよね。

アメリカファースト」を掲げ、排外主義的で強引な政策を次々に行ってきたトランプ氏。今また中国との貿易戦争で市場を引っかき回し、はっきり申し上げて大多数の日本人は迷惑を被りこそすれ、歓迎する理由などほとんどないんじゃないですか。あなたも、あなたのご家族も、回り回って様々な局面でとばっちりを受ける可能性が高い。なのにこの無邪気な「浮かれよう」はどういうことなんでしょうか。

思えば先般の改元騒ぎの時にも、横並び一線で「れいわれいわ」と大晦日や三が日のような報道と、そこに登場する数多の人々の無邪気で脳天気な騒ぎっぷりに気味の悪さを感じました。約三十年前の微熱だ、吐血だ、下血だ、自粛だ……も気持ち悪かったですけど。私は日常的に外国籍の方と接することが多い(というかほとんどそればっかり)職場にいるので、みなさんから「あれは、いったいなに?」という質問や奇異の視線を向けられるのがなんともむずがゆいです。

でもこれが、2019年の私たちの、紛う方なき真実の姿なんですよね。いや、マスコミに登場するのはマスコミが恣意的に選んだ一部の人々であり、違う反応をしている人たちも大勢いるはず。そういう意見もあるでしょう。私もそう思いますが、しかし、それは一部ではなくたぶん大多数なのだと思います。はなはだ残念ではあるけれど、それは認めざるを得ません。そしてこれが日本流の「平和と安寧」ということなのかな、とも。

先日亡くなられた加藤典洋氏の遺作となった『9条入門』を、ちょうど読んだところでした。天皇が現人神から象徴になって失った光を、戦争放棄という「光輝」が満たしたという構図が極めて印象的でした。ならば平成を経て象徴天皇が光を取り戻したように見える現在、改憲を再び日程に乗せようとする動きが出てくるのも必然なのか……と思いが巡りました。そして日本人は、曲がりなりにも民主的な選挙を通じて、こういう経緯を選び取ってきたのです。私たちの責任です。

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9条入門 (「戦後再発見」双書8)

この本では、マッカーサー氏の天皇憲法に対するある「もくろみ」が明らかにされています。それを読んで私は、改元から今回のトランプ大統領来日に至る一連の「浮かれよう」が、この加藤氏が描き出した戦後の天皇アメリカ、そして憲法の歩みにそのまま繋がっているのだなと感じました。当時の国会における「ダグラス・マツカーサー元帥に対する感謝決議案」(1951年)や「新聞各紙は解任を惜しみ、業績をたたえる記事を続々と掲載した」とか、帰国の際には「羽田空港への沿道に20万人以上が詰めかけた」などといったエピソードは、そのまま今日の風景に繋がっているような気がするのです。