インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「高齢男性はそこにいるだけでキモいもんじゃないか」をめぐって

いつも拝見しているfinalvent氏の『極東ブログ』に、興味深い記事が載っていました。同じくこれもいつも拝見している鴻上尚史氏の『AERA dot.』での連載「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」の一記事、「66歳男性が風呂場で涙……」についての感想です。

finalvent.cocolog-nifty.com

私も先日この鴻上尚史氏の記事を読んで、いろいろと考えさせられました。この「66歳男性」は、隠居後に妻や兄弟からつれなくされ、その原因がこれまでの「自分の価値観を他人に押しつける性格」だったことにいまさらながらに気づいたものの、すでに関係を修復するのは不可能で、その上これからも新しい関係を築く自信もなく、老後が不安で寂しくてたまらない(それで風呂場で泣いている)というのです。

極端な例? いえいえ、こういう方(特に男性)はけっこう多いんじゃないかと思います。男性が、主に女性に対して偉そうに見下しながら何かを解説したり助言したりすることを指す「マンスプレイニング」にも通じるものがあります。では自分は? と思わず自問してしまいました。

ふだんTwitterのようなSNSの空間を眺めていると、このタイプの方は存外多いのではないかと感じます。上から押さえつけるような決めつけるようなもの言いが多い。タイムラインを見ているだけで気が滅入るので、最近はますます遠ざかるようになってしまいました。マンスプレイニングは要するに相手への「マウンティング」なのだと解説する方もいて、じゃあ自分の過去のツイートはどうかと読み返してみたら……イヤな汗をかきました。リツイートや「いいね」の数で承認欲求を満たすのもマウンティングの一種みたいなものじゃないでしょうか。俺はこんなに支持されているんだ(だから正しい、良いことを言ってる)と。

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https://www.irasutoya.com/2015/07/blog-post_53.html

極東ブログ』のfinalvent氏は「孤独ってそんな泣くほどつらいものだろうか?」と疑問を投げかけています。ご自身も家族や友人とそれほど対話なり交流なりがあるわけではないけれども「孤独でつらいということはないように思う」と。私もどちらかというと人付き合いが下手で、そもそも人見知りでもあり、なにより人が多い場所や騒がしい場所が苦手なので、孤独が辛いとはあまり思いません。旅行だって、休暇のサイクルがまったく異なる細君とは別に独りで何週間も海外の離島の、そのまた離島の果てまで行くくらいですし。

ただこれは、旅行から戻ってくれば、そこには帰る家があって家族がいるからかもしれません。私は一度離婚していますが、そのときは自分でも驚くほどの孤独感に苛まされたことを覚えています。もともとベタベタした人間関係は嫌いで、たとえ家族であっても互いに自立した、あるいは自律のある、独立独歩のあり方が好きだ、俺は一人でも生きていける……などと豪語していても、実際に家族が突然いなくなったらその感傷かよ、と自分で自分にツッコんだものでした。

またfinalvent氏は、くだんの66歳男性が「これからのありあまる時間をどうしたらいいのか」と悩んでいる点にも疑問を呈しています。ご自身の年齢や健康状態からしても、人生に残された時間は少なく、一方でやってみたいことは山ほどあるので、時間を持て余す「余裕」はないと。これも同感です。私もできることなら仕事など「プチリタイア」でもして、もっとやりたいことがたくさんあります。経済的にそれは許されないので、人生のかなりの時間をこれからも仕事に費やさねばなりませんが。

さらにもっとも共感して「そうだなあ……」と唸ったのは、「66歳の男が趣味やボランティアのサークルに飛び込んで友だちができるものだろうか?」という問いかけです。私はまだそこまでの高齢ではありませんが、紛う方なき中高年で、例えば今通っているフィンランドのクラスではたぶんぶっちぎりの「高齢者」です。毎回クラスメートとは挨拶をして、ペアワークやロールプレイなどしますが、特に知り合いにもなりませんし、互いのプロフィールもまったく知りません。お能の稽古は、私より年配の方も多いですが、これもお稽古以外でお付き合いがある方はひとりもいません。

この点、細君は人付き合いの天才ともいうべき人で、初めて参加した仕事関係のセミナーや学校のクラスなどで、すぐに知り合いを作って人脈を広げ、ほとんど「心の友」とも呼べるような友人を何人も作っています。さすがは「人たらし」といわれた豊臣秀吉田中角栄関連の本が大好きなだけのことはあります。本人はいつも「私、食べ物の好き嫌いは全くないけど、人の好き嫌いは激しいの」と言いますけど、えええ、それは私にこそふさわしい言葉ですよ。

finalvent氏は「高齢男性はそこにいるだけでキモいもんじゃないかと思う」と書かれています。物議を醸しそうなものいいですけど、私は言い得て妙だと思いました。老醜を晒すという言葉がありますが、基本、老いていくということは自分がそういう存在になっていくことを受け入れ、それは仕方ないと開き直り、その上でさて自分には何ができるかと考え続けることではないかと思うのです。