インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

祝祭ですからね

若い頃、小さな出版社に勤めていました。官庁や企業から注文を取って、社会保険関係の出版物を編集する会社です。年金や健康保険、福利厚生などに関するパンフレットやリーフレット、読み物、広報誌、各種のお知らせ資料などを作っていました。

当時から国民年金の未加入問題は顕在化しており、また公的保険や企業年金の運用が金利の影響でかつてほど順調に行かなくなった影響で、各地の保養施設などの存続が危うくなってきていた時期でした。そんな背景の中で、例えば国民年金について「単なる個人の貯金ではなく『世代間扶養』という考え方に基づいた相互扶助制度なんですよ〜」などといった趣旨の啓蒙的な出版物を数多く世に送り出していました。まあ政府の宣伝のお先棒を担いでいたようなものです。

上司のひとりはそんな状況をよく弁えていて、つねづね政府や企業の批判をしていました。もちろん客先である政府機関や大企業に出向いたときには一切批判はせず、客先から帰ってきて社内で私たち部下にあれこれ語るのです。例えば上述した原資の運用についてもそうですし、かつて日本全国に建てられた福利厚生施設(保養施設)についても「本来なら運用利率が良いときにこんな箱物を作るんじゃなくてきちんと留保しておき、利率が下がった場合にも給付が続けられるようにしておくべきなんだ」と極めて真っ当なことを話していました。その後、財政の悪化からこうした施設がどんどん売却されていったのはみなさまご存じの通りです。

ところがこの上司は、ある週明けの月曜日にこんなことを言っていました。「選挙? んなもん行くわけねえじゃん」。前日の日曜日は統一地方選挙の投票日で、上司が住んでいる街でも首長や議会の選挙があったのですが、なんとこの上司、そうした選挙には一切行っていないと言うのです。「行ったって何も変わらねえし」。若かった私はあきれてしまいました。いや、いまこうやって書いていてもあきれますが。日頃あれだけ政治や行政の不備を批判していながら、ご自身はその程度の感覚で生きていたわけですね。

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https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_37.html

それから何十年も経った今日でも、各種選挙での投票率を見れば、くだんの上司のような感覚の人がかなりの割合で存在していることが分かります。まあ、なんだかんだいって日本というこの国は、世界でもかなり珍しく豊かで安全で暮らしやすい国ですし(ネットではあれこれネガティブなことをおっしゃる方が多いですが、いや、どう考えても日本は恵まれていますよ、いまのところは)、選挙なんて行っても行かなくてもそんなに変わらなくね? ……という気持ちも分かる気はします。

でも私は、そういう恵まれた国に生きているからこそ、当たり前のように付与されている権利を当たり前に行使することにこだわりたいと思います。これはほとんどまともに選挙というものが(民主的な選挙というものが)行われていない、例えば中国のような国に住んで、その国の人と知り合い、語り合った経験からでもあります。どこかの国で、初めて民主的な選挙というものが実現したとき、人々はまるでお祭りのように着飾って投票に向かった……というようなエピソードを聞いたことがありますが、私はこの話にとても心を動かされるのです。

投票権があるということの意味を、その歴史や背景から考えてみれば、それがどんなに興味を持ちにくい実態であっても(言っちゃった)なおも祝祭的なものとして捉えていけない道理はありません。というわけで私は新聞に折り込まれていた選挙公報を仔細に読み、ネットで検索などもして、誰に投票しようか考えています。うちの区は区議会議員候補だけで75人もいるので、けっこう時間がかかります。でも祝祭ですから面倒くさいなどと言ってはいけないのです。そしてこのあと、ちょっとめかし込んで近所の小学校(投票所)へ細君と一緒に出かけるのです。

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https://www.irasutoya.com/2013/12/blog-post_3442.html