インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

容姿に干渉する校則はいらないんじゃないか

先日トレーニングに行った際、インターバルの時間にトレーナーさんから興味深いお話を聞きました。

トレーナーさんのごきょうだいは中学校の先生だそうですが、この学校は校則がものすごく厳しいのだそうです。制服はもちろん、髪型にも厳格な規定があり、女子の長髪は左右のお下げにするか後ろで三つ編みの二択のみ、男子も耳が隠れない程度に短くする……などを徹底しているとか。

でもそうやって「没個性」を徹底的にすすめて行った結果、一人一人の見分けがつきにくくなり、特に新入生がどっと増えるこの時期は、新しく担当するクラスの生徒の名前をなかなか覚えられなくて困っているというお話でした。なるほど、もとより制服で同じような格好をしているところに加えて、髪型も統一されちゃったら、特徴が極端に減って覚えにくいですよね。

いや、これ、その苦労がよく分かります。私も学校で毎年新しく入ってくる留学生のみなさんを迎える際、名前と顔を一致させるのがとっても苦手だからです。私は本当に失礼で非情な人間なんだと思いますが、留学生に限らずとにかく人のお名前を覚えるのがすごく不得手なのです。留学生は国も地域も様々で、もちろん制服なんてありませんからそれぞれとても個性的で、名前を覚えるという点では一番「タスクの軽い」部類に入るでしょう。それでもこの体たらくなんですから、もし私がくだんの中学校で担任でもやることになったら、完全にお手上げだと思います。

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https://www.irasutoya.com/2018/07/blog-post_701.html

しかし何ですね、2019年の現在になっても、制服をはじめ、頭髪まで「没個性」を強要する教育がここまで頑迷に行われているんですね。いい加減こんなことはやめるべきだと思います。没個性のたがを外してしまったら非行に走るなどといった反対論も根深いのでしょうけど、こちらにもあるように非行に走る若者は激減しており、非行を防ぐという制服の意義も失われつつあるのです。

私服や自由な髪型を認めたらファッション競争になり、家計の負担が増えるとか華美に走りすぎてしまうなどの意見もあるようですが、そうかなあ。きょうび「ユニクロ」や「GU」や「しまむら」みたいなお店はどこにでもありますし、いっとき華美に走っても私服での登校が日常に溶け込んでいけば、それなりに落ち着いてくるのではないでしょうか。もちろん華美なまま突っ走る人がいてもいいですし、それもまたどこかの首相が「一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」学校や社会のありようでいいんじゃないですか。

人間が現代社会の中で真っ裸で生きることができない以上、服装は好き嫌いにかかわらず自分で考えて選んでいかなければならないものです。「食育」という言葉があるのと同様に「服育」もあるべきでしょう。自分では「格好いい」と思って選んで着たものの「イタい格好」だったとか、思ったよりも地味だったとか派手だったとか、あの人には合うけど自分には合わないとか……そんなこんなの一切もまた成長過程で学ぶべきスキルだと思います。髪型もしかり。

実は私もいま春の始業期を迎えて、職場では留学生に対する「諸注意事項」なんかを説明する役目を仰せつかっています。うちの学校にもいろいろと校則みたいなものがあるんですけど、正直そういうのを説明して徹底させる……というお仕事は気が重いです。そんなの自己責任でいいじゃんと(やっぱり非情なんです、私)。

ともあれ、始業時間を守るとか、試験でカンニングをしないとか、そういう校則はまだしも、こと個人の容姿に関してはいらないんじゃないか、いやそこには干渉してはいけないんじゃないかと思います。