インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

苦手な春に

私は春が苦手です。新年度や新学期ということで、何かこう、世の中全体が浮き立つような感じになっている、その「わさわさ」した感じに心落ち着かなくて。三寒四温で気温が乱高下するため体調を崩しやすいですし、花粉症ではないものの何となく鼻がむずむずします。

心身の健康のために、あんまりネガティブなことは言わない・考えないようにはしているのですが、この「春が苦手」というのは若い頃から変わりません。音楽家の故・武満徹氏はかつて「春は何か心が疼くようで、嫌いだ」とおっしゃっていたそうですが、その気持ち、よく分かる気がします。

加えて今年は新元号を巡る一連の動きがありました。新しい元号が「令和」(おっと、まだインプットメソッドが一発で変換してくれません)に決まり、マスコミこぞって狂騒に沸いた四月一日から一夜明けて、昨日の東京新聞朝刊は新元号発表後に行われた安倍首相の記者会見について見開きで特報欄を組んでいました。

東京新聞:違和感あり 首相会見 「まるで所信表明」:特報(TOKYO Web)

上記のリンク先は、有料版でなければ全文を読めないのですが、ぜひ図書館などで記事をご覧いただきたいと思います。ジャーナリズムには、特に日本のそれには、こういうスタンスが必要だと強く感じます。

改元改元で寿げばよいと思いますが、だからって山積している問題がガラッポンで清算されるわけではありません。安倍首相の会見(特に記者の質問に対する答え)はまさに「所信表明演説」あるいは「選挙演説」のようで、まるで自らが過去の問題を全部乗り越え、この先の明るい未来を切り開く立役者であるかのように語るその語り口には違和感を覚えました。

恥ずかしながら私は先日初めて「しゃしゃる」という言葉を知りました。「しゃしゃり出る」の短縮形(?)です。そして安倍首相の新元号発表後の記者会見とNHKニュース9に出演されていた安倍首相の言葉を聞いて、その「しゃしゃる」という言葉を反芻していました。時の首相はたまたま改元の際にその任に当たっただけという慎みと歴史への敬意が感じられなかったのです。あれらはまるで自分がこの国の元首であるかのような「しゃしゃ」った振る舞いだったのではないでしょうか。

元号の発表に伴って、テレビのニュースで取材されていた各地の人々の声と表情には明るさがあふれていましたが、私たちはこの春の陽気に浮かれているばかりではいけないと思いました。

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https://www.irasutoya.com/2019/04/blog-post_791.html?m=1