インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ようやく音楽になってきた

「やりたいことは老後に時間ができてから」などと言って、いざ老後になったら心も身体もすでに新しいことをやる元気が失われているのではないか……ということで「やりたいことは今すぐこの場で待ったなしで」の精神でピアノの練習を始めて三ヶ月ほど。

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暮らしや仕事のサイクルになかなか合わず、ピアノの先生にはいまだにご縁がないのですが、毎日少しずつ自分で練習しています。もうほんと、時間がないときは数分程度ですけど。でも毎日数分でも指を動かしていると、あるとき「ふっ」と、それまでできなかった運指ができるようになる瞬間が訪れるんですね。当たり前すぎるほど当たり前なんですが、この感覚が非常に面白いです。

ピアノの運指はかなり合理的にできていて、初級段階の教則本には右手・左手とも「12345」の数字で「どの指で弾くか」が指示されています。それに従って練習していくのですが、なかなかその通りに指が動いてくれません。しかも右手に集中していると左手が全然動かなかったり、その逆もあったり。よく認知症予防のための運動で、手を左右非対称の動きにするものがありますよね。「グーパー体操」みたいな。

この「グーパー体操」的な動きも、最初はなかなか上手にできないのですが、ピアノの運指もまさにそういう感じです。理屈上はとてもシンプルで簡単な動きのはずなのに、左右一緒に行うとまるで指に「枷(かせ)」がはめられているかのようにうまく動かない。ほとほとイヤになって、つい放棄したくなっちゃいます。

しかし、どんな習い事でも同じですが、こういう時はタスクを軽くし、練習の範囲をごくごく小さく分割するのが吉です。そこで、まずは1小節だけきちんと動かせるように何度も練習し、それができたら2小節、3小節……という感じで徐々に範囲を広げていくことにしました。まさに亀のような歩み(というか亀の方がまだ速そう)ですし、この段階はなんだかぜんぜん音楽じゃありません。

しかしこうやっていると、あるとき「ふっ」と枷が外れる感覚が訪れるんですね。そういうときはもう運指の番号も「次はどこを押さえるんだっけ」という意識も消えています。まあ何というか、運指が意識に上らず肉体化されたとでもいいますか。そしてそのときは左右の運指がまるで一つの統一された動きに感じられるのです。さっきまでは右手に収集していると左手が疎かになっていたのに。

これは私だけの感覚だと思いますが、右手と左手の間に何か立体的な構造が組み上がるような感覚が生まれる。この構造が組み上がると、何度でも流れるように弾くことができます。この「枷が外れて立体が組み上がる」瞬間が心地よいです。

……などと非常に非常に緩慢な進み方なので、三ヶ月もやってまだ二曲くらいしか弾けません。バッハの「G線上のアリア」とショパンの「ノクターン第2番」ですが、それも初心者用にごく簡単な運指にアレンジされた、見開き2ページ完結バージョンです。こういう楽譜集がたくさん出版されているんですね。いくつかの音を同時に弾く和音も装飾音もほとんど入っていませんし、ペダルも使いません。それでも通して弾いてみると、けっこう「おおお!」という感動があります。

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ピアノ・ソロ 大人のための かんたん! すぐ弾ける! クラシック名曲100選 作曲家:ア行-タ行

こうやって弾いているものが音楽になってくると、文字通り楽しいです。でもずっとデジタルピアノのヘッドホンをつけて練習していて、まだ細君には一度も聴いてもらっていません。誰かに聴かせることができるレベルじゃないし、それが目的でもないし、また細君もクラシック音楽にはそんなに興味のない人なので聴きたいとも思ってないでしょうしね。