インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳者の仕事は時給換算できる?

とあるイベントでの通訳業務を仰せつかりまして、徐々に予習を始めていたのですが……。当日の午前中に急遽授業の予定が入ってしまい、代講もできない状況だったので、イベントを主催するクライアント(お客様)に集合時間を遅らせることができないかどうかと相談を持ちかけました。

このイベントは以前にも何度かお仕事をいただいており、夕方からの本番までに長い待機時間があるので、もともと午前11時集合のところを午後1時にしていただけないかと相談してみたわけです。本来ならこんなことをお願いするのは御法度で、最初にお声がけいただいたこのイベントの業務を優先すべきなのですが、今回はいろいろと手詰まりなので「ダメもと」でお願いしてみました。

幸いクライアントはとても理解があって、午後1時の集合でもオーケーとのお返事をいただいたのですが、その後担当者さんからこんなお申し越しが。「2時間短くなったぶん、通訳料金を少しお安くしてくれませんか?」

……う〜ん。

これは困りました。確かに、先にこちらからご無理を申し上げて拘束時間を短くしていただくわけですから、そのぶん報酬を削るというのは当然のように思えますよね。でもこれは承ることができないのです。

よくある誤解のひとつなのですが、通訳業務は単に当日の拘束時間内だけで行っているわけではありません。通訳には事前の予習が欠かせず、この予習時間の方がはるかに長くかかります。数時間のイベントのために、クライアントから提供していただいた資料を十数時間から数十時間をかけて読み込んだり視聴したりし(直前でできないことも多いけれど)、さらにインターネット等で背景知識を収集し、グロッサリー(用語集・単語帳)などを作って専門用語や業界用語やジャーゴン(仲間内にだけ通じる特殊な言い方)を覚えるなど、たくさんの作業が発生します。

通訳料金は、その時間外の労働や手数も含めての報酬なのです。ときどき「通訳者さんって楽でいいよね。口先で『ちょろちょろ』っと喋るだけで高い日当もらえるんだから」とおっしゃる方がいますが、その比較的高い日当が設定されているのは、予習などにかかる時間も勘案されているからと理解しています。「二つの言語が話せれば、その場ですぐに何でも訳せる」わけではないのです。

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https://www.irasutoya.com/2015/06/blog-post_89.html

私も通訳者のはしくれなので、残念ながらこの点だけはどうしても譲ることができませんでした。通訳は「現場で聞いて話す」だけの作業ではなく、単純に時給では測れないものであることをご理解頂きたかったのです。

とはいえ、今回はこちらからの勝手な事情でご相談したこともあり、当日の集合時間を遅らせて頂いた上にクライアントの意に沿わない報酬を出していただくのは心苦しくて、今回のオファーは辞退させていただくことにしました。

今回は自分でもちょっと身勝手な感じがしますが、でもこの点を譲って「通訳者の仕事も時給換算できる」という通念を強化するような行動だけはどうしても取れないと思いました。ここで譲ったら、回り回って他の通訳者さんにもご迷惑がかかってしまいます。

クライアントからは、通訳者の仕事を理解せず、ぶしつけなお願いをして申し訳ないとのお詫びの言葉をいただきました。それでも、今回のお仕事は結局ご破算ということになりました。これは想像ですけど、経費削減の声かまびすしい昨今、短くなったぶん通訳料金をまけてもらえと指示したのは担当者さんの上司だったんじゃないかな……まあ今回はご縁がありませんでした。仕方がないですね。