インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

学校は「遠きにありて思ふもの」

三月は学校の年度末。すべての授業が終了し期末試験の結果も出て、卒業式のシーズン到来です。というわけで先日、同僚の中国人講師に「生徒との別れが名残惜しくて……センセも?」と聞かれたんですが、私は答えに窮してしまいました。特に名残惜しいと感じないからなんです。冷たい? う〜ん、もちろん私は留学生のみなさんが大好きですけど、卒業していく人や卒業生にほとんど感情が動かないんですよね。

私としては、卒業に際して生徒から「お世話になりました」とか言ってもらわなくてまったく構わないので、そのぶん在学中に懸命に練習なり訓練なりをしてほしいんです。教師と生徒は、その在学中の関係だけが大事なんじゃないかと。だから試験が終わって、成績がついたら、もうそんなに感情が沸かない。あとはもう「健闘を祈る」ぐらいしか言えません。

学生にしたって、卒業したら学校での学びをベースに、社会でどんどん羽ばたいていけばいいし、母校への帰属意識なんて持たなくていいと思うんです。私にも恩師と呼べる方はたくさんいて、折に触れて感謝の念を持つけれど、だからって同窓会みたいな席には行きません。故郷ならぬ母校に「錦を飾る」ような成果は上げていませんし、もとより黒歴史満載の学生時代が眼前に甦るなんて心と身体に悪いですから。

だから、卒業アルバムのたぐいを懐かしく見返すこともありません(というか、全部捨ててしまって手元に残っていません)。今とこれからを頑張ることが恩師への恩返しだと思うし、いただいた学恩は、今度は私からもっと若い世代の方々へ送っていけばいいんじゃないか……そう思っています。

よく卒業式の送辞などで「卒業後も、時には『心のふるさと』である母校を訪ねて、元気な姿を見せて下さい」といったようなことを言いますよね。私も昔はそういう送辞に心震わせていた時期があったのですが、冷静になってみれば中国の古詩にも詠まれているように「去る者は日々に疎し」なんです。先生方だっていま担当している学生の指導で手一杯のはずだし、自分にしたって後ろを振り返っている暇はないはずです。

室生犀星の『抒情小曲集』に入っている、かの有名な詩句にはこうあります。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食《かたゐ》となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/001579/card53241.html)より

最初の二行だけが人口に膾炙していて、あたかも望郷の歌であるかのように捉えられていますが(以前は私もそう思っていました)、最後まで読んでみると、むしろ故郷への退路をきっぱりと絶って前を向く、その決然とした意思を示しているように私には感じられます。学生のみなさんも「心のふるさと」としての学校なんかさっさと巣立って「遠きにありて思ふもの」でいいんじゃないかと思うのです。

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室生犀星詩集 (岩波文庫)