インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「能面のような」という形容をなんとかしたい

世上よく「顔に生気がなく表情が冷たいさま」を「能面のような」と形容されることが多いのですが、能楽ファンとしては少々納得がいきません。とはいえ、私も初めて能を見たときは、正直に申し上げて無表情に見えました。いや、見えたどころか熟睡しちゃったので、見えてさえいません。

そんな私ですから、口幅ったいことを言うのも気が引けますが、能の面(「めん」ではなく「おもて」と称するよし)は実に千変万化します。よく言われることですが、見る方の気持ちや想像次第でいろんな表情や佇まいに見える。なまじ眉を釣り上げたり口元を歪めたりしないだけに、余計にその表情に引き込まれる瞬間があるのです。

狂言でも、よく舞台上を数回方向を変えて歩いただけで「はい、田舎から京の都に出てきました〜」って強引(?)な場面転換があるんですけど、あの瞬間に私は、脳内で勝手に里山の風景や街道の賑わいや都の煌びやかさなどを想像していることに、ほんの最近気づきました。

いまさらかよという感じですけど、能や狂言って、言うなればそんな風に見る側の想像や妄想を大いに必要とする、というか利用している舞台芸術なんですよね。

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https://www.irasutoya.com/2015/08/blog-post_4.html

マンガ『能面少女の花子さん』の作者・織田涼氏も「たとえば花子がかけている小面は角度によってまったく表情が変わるんですよ。表情の微妙な違いがたまらないです」とおっしゃっています。さすが、分かってらっしゃる〜。

news.kodansha.co.jp

また、こうもおっしゃっています。

能面は形が変わるものではないので、それ自体の表情は変えないようにしています。周りの人の反応や花子の仕草で読者の方に彼女の気持ちが伝わればいいなと思っています。

おお、これは観る側が自由に想像を膨らませることで面が千変万化するという(と私が勝手に解釈しているだけですが)能楽のあり方そのものではありませんか。

そんな表情豊かな能面ですから、「能面のような」という形容の代替案はないものかなと思います。類義語辞典などにもあたってみましたが、なかなかこれはというものがありません。Twitterで「緩募」したところ、「スケキヨのような」という案が寄せられました。なるほど、映画『犬神家の一族』に出てくるスケキヨのマスクですね。でもあれをネットで画像検索してみたところ、けっこう表情豊かでした……う〜ん。