インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「良記事」における据わりの悪さ

「良記事」という言葉があります。SNSなどでブログなどの記事を引用する際に「役に立ついい記事だから、みなさん読みましょう」といったニュアンスで使われる言葉です。「良い記事」だから「良記事」で名詞みたいですけど、「とても良記事」とか「たいへん良記事」などと形容詞みたいに使われることもあります。

「良い記事」を「良記事」とするのはTwitterの140字制限がゆえに言葉の経済性を追求した結果なのかもしれませんが、私はこの言葉にいろいろと違和感を覚えるのでなかなか使えないでいます。

まずは「良+○○」という組み合わせの単語が何となく据わりが悪いんですよね。いま試みにいろいろと自分の語彙をさらってみたんですが、ほかの例を思いつかないのです。

良い書籍、良い地域、良い部屋、良い性格、良い政治、良い企業、良い選択、良い思想、良い社会……を良書籍、良地域、良部屋、良性格、良政治、良企業、良選択、良思想、良社会とは(まあ意味は伝わるけど)言わないですよねえ。一部の業界では言うことがあるかもしれないけれど、広く人口に膾炙しているとは言いがたいように思います(いま「良」の漢字ばかり打っていて、ゲシュタルト崩壊を起こしました)。

ネットで検索したら「良肢位(りょうしい)」という言葉がヒットしました。意味は「関節の運動が障害され動かなくなった状態でも、筋の萎縮や関節拘縮を最小限にとどめ、機能障害の影響を最も小さくするようにした関節のもっとも良い位置のこと」だそうです。これもまあ医療業界の専門用語で、一般にはあまり耳なじみのない言葉です。

それにもうひとつ「良記事」にはどこか「上から目線」的なニュアンスを感じるのです。これはもうひとえに、Twitterを始めとするSNSがそもそもそういう「風土」の場所ですからいたしかたないのですが、人様の記事や文章を引用して、いえ、時には引用もせず、自分の見解すらつけ加えずにリンクを張っているだけなのに「良記事」ってお墨付きを与えるアンタは一体誰なんだと思いません? え、別に思わない? それは困ったね……。

ともかく、あのTwitterなどの言語空間に特有な、投げつけるような決めつけるような「もの言い」、その雰囲気を体現しているような「良記事」という言葉はなんだかエラソーで、据わりが悪くて使えないな、と私は思うのです。じゃあSNSなどに近づかなきゃいいじゃない。そうですね、その通りです。

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