インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ピダハン

ダニエル・L・エヴェレット氏の『ピダハン』を読みました。ブラジルアマゾンの奥地に住む少数民族・ピダハン族の言語を、30年近い歳月をかけて調査してきた記録です。


ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

言語を構成する音素が約10個と極端に少なく、その一方で声調が重要な役割を果たし、さらに口笛やハミングなどでも伝達ができ、数や色、左右や時制を表す言葉がなく、特に「魚を獲った男が家にいる」のような入れ子構造をもつ「再帰(リカージョン)」が全く見られないという特徴は、チョムスキー言語学の理論を覆す発見として注目されたそうです。

この本ではそうした言語学上の格闘についても多くの紙面が割かれていますが、私がいちばん心を引かれたのは、そうした言語にも表れているピダハンの人々の世界観や人生観(死生観といってもいい)、あるいはその文化の諸相です。私たちが現在生きている西洋文明、あるいは西洋的な文明のあり方とはかなり異なるピダハンの人々の暮らしですが、それはこの本でも通奏低音のように繰り返し語られるように、とても充実した精神生活であり、幸福で満ち足りた一生なのです。

むしろこの本は、西洋的価値観+キリスト教的価値観の体現者であった一人のアメリカ人が(筆者がピダハンにアプローチする最大の理由は、キリスト教の聖書を翻訳して伝導することでした)、ピダハンの言語と文化に触れる中でその価値観を変容させられていったその過程こそ、最も読みごたえのある部分かもしれません。実際、世界観が揺らいでしまったことで筆者は最終的に信仰を失い、そのために家族も崩壊してしまうのです。ただその筆致があくまでも明るいことが「福音」ではありますが。

それにしても、最終章で語られる「伝導の失敗」に関する記述は、非キリスト教者である私から見れば、一種異様に思えるほどの素朴さ&一方的な押しつけで、正直に申し上げて少々「引いて」しまうほどでした。かつての中南米におけるコンキスタドールたちのふるまい(アステカ帝国を侵略したコルテスやインカ帝国を侵略したピサロなど)も根っこは同じなのかもしれません。

前々から、特に911以降、アメリカ合衆国という国はやたらに宗教をふりかざす「神がかり」的な国だなあと思っていました。現在は何やらとても「内向き」な彼の国ですが、かつては神の名のもとに世界各地でこうしたキリスト教的世界観の普及を図っていたのかと思うと、そしてそれがどれくらい奏功してしてしまったのかと考えると、ちょっとその横暴さに身震いするほどです。

それでもピダハンにとって救いだったのは、ダニエル・L・エヴェレット氏が自らの宗教的基盤さえうち捨てるほどの聡明さを持っていたことでしょう。もっとも、そんな氏の奮闘をよそに、ピダハンの人々がその価値観をほとんど変えていないように見えるのもまた興味深いです。話者が数百人になっても、ピダハン語はその独自性とピダハン自身のモノリンガル性から、ユネスコの言語消滅危険度評価でも「脆弱」のカテゴリーにあり、危機に瀕する言語とは考えられていないのだそうです(最近はポルトガル語の浸透が強まっているようですが)。

とにかく興味深い本です。でも、私はこの本をとある大学図書館で借りたのですが、なんと2012年刊行のこの本を私の前に借りた方は一人もいませんでした(見返しに貸出日のスタンプを押す紙が貼ってあるのです)。なんともったいない。みなさんにお勧めしようと思います。