インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

無駄な資料作りをやめたい

先日の日本経済新聞に興味深い記事が載っていました。「ロボットと競えますか」などと扇情的なわりにあまり的を射ていない見出しですが、この記事で重要なポイントは、今ある業務が自動化される・できる割合を国別に比較した場合に、主要国の中で最も高い割合を示したのが欧米でも中国でもなく、日本だったという調査結果です。

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www.nikkei.com

ことに事務職での資料作成など単純作業の割合が高く、そうした作業の多くはロボットやAIで代替できるのではないかと。労働生産性の低さがつとに指摘されている日本ですが、その原因のひとつはこういうところにあるのかもしれません。

語学に関する業務で様々な企業や官公庁におじゃますると、とにかく資料の多さと細かさに圧倒されます。特に上司への説明資料と思しきペーパー類やパワポなどのプレゼン資料がものすごく多くて細かいのです。

もちろん必要な資料もあるのでしょうが、部外者が見ても「これ、誰が読むのかな」とか「ここまで細かい資料がいるのかな」と思えるものも多いです。通訳業務の前に細かい資料をいただけるのはとてもありがたいのですが、その資料に合わせて膨大な時間をかけて予習しても「本番」ではほとんど表面的にしか触れなかったということもよくありました。

WordやExcelPowerPointなど、マイクロソフト社の定番ソフトを駆使して作り込まれた資料が日々膨大に作成されていますが、私たちはそれらのソフトの使い方に習熟し、どんどん「職人芸」の域に上りつめていく中で、もしかしたら膨大な無駄と生産性の低下を招いているのかもしれません。

以前Amazonジェフ・ベゾス氏が「パワポ禁止令」を出したという記事を読んだことがありますが、そこでの要諦は、パワポのアニメーションに凝ってるヒマがあったら、もっと資料価値の高い資料を文章で書きなさい、ということでした。私にはこれ、「資料」の原点——課題を整理し、他人と共有し、結論を導くこと——に戻れという声に聞こえました。

zuuonline.com

それと、AIやロボットによって代替される必要すらない無駄な資料作りをやめないと、日本の労働生産性の低さは改善されないのではないかとも思います。「あとから必要になるかも」と作られる議事録とか、「何十年も前からの決まりだから」と書かされる年度総括資料とか。

さらには「私は聞いてなかった」的なクレームが発生するのを事前に回避しようと、やたらに社内メールで「ほうれんそう」しまくるとか、わざわざプリントアウトしてファックスとか、紙資料での回覧とか。もちろん無駄な会議も。本当にそれらは必要なのかと一度も問われることなく今に到っているというところは多いんじゃないでしょうか。

追記

ちなみに私はかつての職場で、誰も読まない年度末総括とか既に獲得決定の予算だけれど万一の時のために添付しておく趣旨説明だとかの文章を、お役所的な文体で大量に紡ぎ出すのが得意で、よく周囲から「ちょっと書いといて」と頼まれていました。おかげで「モスラ徳久」という雅号を頂戴いたしました。

いまでもモスラが糸を吐くようにお役所的な文章を紡ぐのは得意ですけど、ああいう文章はもうあまり書かない方がいいですね。誰にも届かないことが最初から分かっている文章を書くことほど虚しく、心を病むことはありません。このブログだって、読んでくださっている方はいくらもいないと思いますけど、それでも誰かの心に届くかもしれないと信じられるから書けるし、楽しくもあるわけで。