インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

大きな声が出せない?

通訳訓練や、通訳訓練の基礎となる日本語の音声訓練、さらには豊かな表現力を身につけるための演劇訓練。私は昔からこういう訓練、特に声を出す訓練に興味があって、いろいろな学校や教室やワークショップに参加してきました。それが今のお仕事に(ほんのわずかながらも)活きていると思うのですが、自分が教わってきたスキルを逆に教える立場になってみて、時折「私は大きな声が出せません」という方に出会うことがあります。

大きな声といっても実はその定義は曖昧で、単に「dB(デシベル)数」などで測れるものでもありません。もちろんそれなりの音量・声量は必要ですけど、大きな声というよりは「人に届く声」とでもいった方がよいかもしれません。物理的に考えれば、声量が大きければ、その空気の振動が人の鼓膜まで伝わって声が届きやすい……と考えるべきですが、「人に届く声」は、どうもそれだけではないようなのです。

人に届く声を出すためには、多少の練習や訓練が必要です。そのためにアナウンス学校や演劇のワークショップなどでは、よく声をボールに見立て、そのボールが相手の胸に「どしん」と届くイメージで発声練習をしたりします。どんなに声が大きくても、相手の胸元に声が「どしん」と届いていなければ「ああ、頭の上を声のボールが飛び越えていきましたね」とか「私の手前で落ちてコロコロ転がっていますね」などという形容で「ダメ出し」をされます。

一見非科学的にも聞こえるこれらの説明、実際に訓練に参加してみると実によく腑に落ちます。声は単なる空気の振動ではなく、なにか手に取ることができるくらいの量感を持った存在に感じられるのです。

で、「私は大きな声が出せません」さんですが、私はこれ、確かにそういう方もいるだろうなと思う反面、半ば嘘ではないかとも思っています。というのも、人間誰しも自分が危機的な状況に陥ったら大きな声を出すだろうからです。何か大変な状況が起こったとき、例えば自分の家が火事になったとか、往来で大好きな俳優さんと出くわしたとか、そんなときにも蚊の鳴くような声で「かじだ~」とか「あ、じょにー・でっぷだ」などという人がいるでしょうか。ま、驚きや恐怖や喜びのあまり声が出ないということはあるでしょうけど。

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https://www.irasutoya.com/2015/10/blog-post_31.html

たった二十年ほどですが、私が見てきたところでは、「大きな声が出せない」という方は実は頑固で強情で我の強い方が多いです。我の強い人ほど大きな声を出すんじゃないかって? いや、それがどうも逆のようなのです。

我の強い人は自分を変えることを頑なに拒みます。いっとき恥を捨てて、今の自分とは違う自分の状態にチャレンジしたり飛び込んでみたりすることができない。もしかしたら自分は大きな声が出せるかもしれない、ひとつやってみようと踏み出すことができないのです。これはもう、その人の生き方、あるいは器量の問題といってもいいかもしれません。

いえいえ、もちろん人間にとって大きな声だけが至上価値ではありませんから、我が強くて大きな声が出せなくても、それはそれで構わないのです。ただ、非常に申し上げにくいのですが、そういう方は声を届ける商売、例えば声優や教師やアナウンサーや通訳者などのお仕事にはあまり向いていないのではないかと思います。

何事にも向き不向きはありますから、これは仕方がないのですが、私たちの悩みは「どうしても大きな声が出せない。でも声を出す仕事に就きたい」という生徒さんにどう指導すればよいか……なのです。“江山易改禀性难移(山河や国家は容易に移り変わるが、人の性格はなかなか変わらない≒三つ子の魂百まで)”といいますからねえ。