インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

太平洋戦争 日本語諜報戦

武田珂代子氏の『太平洋戦争 日本語諜報戦』を読みました。本のタイトル、それに副題の「言語官の活躍と試練」からして興味をそそられます。


太平洋戦争 日本語諜報戦 (ちくま新書)

アメリカ・イギリス・オーストラリア・カナダそれぞれの国において、各国が主に日本との戦争に関連した日本語要員の育成をどのように行ったか、日本での留学や業務の経験者・現地の日系人などをどう招集し「活用」したか……などについてその歴史と概要をまとめた部分が本書の大半を占めています。「言語官(通訳や翻訳を行ったり、言語を活かした諜報活動やプロパガンダなどを行う)」たちの学習過程や、実戦現場での「活躍」ぶりについても記述はありますが、どちらかというと広範な資料をまとめた見取り図的な側面が強くて、言語間の往還や言語の壁を越えることそのものについての考察はあまり入っていません。

その意味ではちょっと想像していた内容と違っていたのですが、これは今後の研究の進展が待たれる、ということなのでしょう。諸外国はいざ知らず、日本ではこうした「戦争と言語」というテーマについては、今とこれからの言語に関する政策、例えば移民や外国人労働者に対するさまざまな施策などと併せて、まだまだ未開拓な部分が多い分野といえるのかもしれません。

日本もかつて台湾や韓国などの国々を植民地統治した歴史がありますが、その際の言語政策、特にこちらの言語を押しつけるのではなく、向こうの言語を研究して政策に活かすという営みはどれくらいの規模や深さでなされたのでしょうか。私はこの点に関して全くの素人ですが、この本をきっかけにして、そちらへの興味が俄然湧いてきました。関連した書籍を渉猟してみたいと思います。

ところで、この本でいちばん興味深かったのは、太平洋戦争時のアメリカ軍(あるいは連合軍)における「(日系)二世語学兵」に関する記述です。帯の惹句にもあるように、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官をして「実際の戦闘前にこれほど敵のことを知っていた戦争はこれまでになかった」と言わしめたほど対日諜報戦で活躍した、日米双方での教育経験があった「語学兵」たち。

例えば、かの米艦船ミズーリにおける日本の降伏文書調印式に際して、降伏文書をチェックする役割を担ったトーマス・サカモト氏は、のちのインタビューでこのように語るのです。

日本軍は二世語学兵の存在に気づいてなかったと思う。日本軍の戦い方は筒抜けだった。

そしてサカモト氏は、戦場で回収された日本軍兵士の詳細な日記や手紙などからさまざまな情報を得ていたことを証言し、日本軍は兵士の行動規律が甘く、兵士が日記を書くことを許していたことが「日本が戦争に負けた理由の一つ」とするのです。旧日本軍は「生きて虜囚の辱を受けず」とした「戦陣訓」などの影響で特に太平洋戦争初期に捕虜となった日本兵はかなり少なかったそうですが、それでもこうした「言語兵」の働きによって「兵站、戦術、戦略について日本側が何を考えているかを完全に把握していた」のだとか。

この点に関して武田氏は「日本軍が戦場での文書の安全管理にずさんだったのは、日本語は難しい言語であり、敵に日本語が理解できる要員などいないと考えていたからだと言われて」おり、「日本兵は捕虜にならないという想定から、捕虜になったときにどう振る舞うべきかという教育は日本軍内で行われていなかった」と書かれています。う~ん、なんという「ナイーブ」な言語観でしょうか。

明治この方、西洋に追いつけ追い越せで外語教育に血道を上げ、議論し、実戦し続けてきたその努力は、例えば『資料日本英学史』第二巻の「英語教育論争史」にも綿々と綴られていますし、それは現代にも引き継がれているわけですが、曲がりなりにも植民地「経営」などを経験してきた国にして、この言語や外語に対する「ナイーブ」さはどういうことでしょう。

常々感じていることですが、日本人は今に至っても自らの母語である日本語と、自らを取り巻く外語に対して、客観的で透徹した見方ができていないのかなとも思います。自分が外語を話すとはどういうことなのか、日本語の非母語話者が日本語を学ぶとはどういうことなのか、言語の壁を越えてお互いに行き来するということはどういうことなのか……煎じ詰めれば私たちはまだどこかに「言語を舐めている」ところがあるのかもしれません。

qianchong.hatenablog.com

この本には、ほかにも興味深い記述がいくつもあります。個人的には、画家の国吉康雄氏が初の対日プロパガンダラジオ放送の原稿を書き、読み上げたという話に興味を持ちました。「語学兵」だけでなく、民間人もそれぞれの立場で時に否応なく、時に積極的に語学の能力を提供していたのですね。

また「語学兵」が戦場で、例えば日本兵や民間人が隠れているとおぼしき洞窟を焼き払う「ケーブ・フラッシング」前に、洞窟に呼びかけをする役目まで果たしていたという記述。これは先日読んだマンガ『ペリリュー』にも、そのシーンが出てきました。

f:id:QianChong:20181011104445j:plain
▲『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 』第三巻より。

さらに序章で紹介されている熊本県九州学院で学んだ日系アメリカ人やカナダ人二世の生徒たち。前述のトーマス・サカモト氏もそのお一人なのだそうです。山崎豊子氏の『二つの祖国』を想起させます。ほかにもエドワード・G・サイデンステッカー氏やドナルド・キーン氏などのお名前も登場します。語学業界のはしくれとして、いろいろなことを考えるヒントになるような一冊でした。