インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

よしながふみ氏の秀逸な作話術と杉田水脈氏の幼稚な妄言について

前巻の発売から約十ヶ月ほど、よしながふみ氏のマンガ『きのう何食べた?』の最新第14巻を読みました。


きのう何食べた?(14)

このマンガの秀逸なところを挙げれば切りがないのですが、そのひとつは筧史朗(弁護士)と矢吹賢二(美容師)というゲイのカップルを中心にした物語でありながら、そこから連想されるセクシャルな要素がほとんど出てこないということです。

世の中にはゲイ・レズビアン文学や映画祭、LGBTを取り上げたドラマや舞台作品などがあり、ひとつのカテゴリーを成していて、このマンガもその流れの中に位置するものではあります。それらはもちろん世にその存在を知らしめ、時にまっとうな権利を求め、あるいは理不尽な差別に立ち向かうという側面があり、それぞれの存在意義を持っています。

その中にあってこのマンガが際立って特徴的なのは、言ってみれば「LGBTをテーマにしてすらいない」という点。つまり、ごくごく当たり前の、普通の、ことさら区別して特筆する必要すらない人間のありかたとして、このカテゴリーを扱っているのです。言い換えれば、ゲイ=セクシャルという連想が立ち上がること自体がもうすでに陳腐、カテゴライズすら陳腐なんですね。

主人公の筧史朗は職場の同僚に「カミングアウト」をしていないゲイとして設定されており、ときに世の中の無理解や不寛容などに対する葛藤も描かれてはいるのですが、おそらくそこに作者であるよしながふみ氏の主眼は置かれていません。

しかも筧史朗自身が歳を取り、人間的にもより成熟するに従って、気持ちの上でも行動の上でも自分自身を受容し、ゲイという「マイノリティ」である自分と世の中の「マジョリティ」との齟齬にこだわらなくなりつつある。こうして、ゲイにまつわる課題を、世の中への働きかけではなく自らの内側の成熟として表出させているところに、よしながふみ氏の周到なストーリーテリングを感じるのです。

もうひとつ、自分もまた筧史朗とほとんど同じ年齢であり、仕事をしつつ家庭では炊事や買い出しなどの家事を担当しているので、このマンガにはとても共感するところが多いのです。年老いた両親との関係や、己の身体状況の変化、忙しい毎日にあっても自分なりの「小確幸」を大切する生き方……以前にも書きましたが、自分の暮らしと重ね合わせるように読めるマンガが同時代に、現在進行形であるというのは、ほんとうに僥倖だと思っています。

ところで、書店でこの本と一緒にもうひとつ買った本があります。『新潮45』という雑誌の8月号です。


新潮45 2018年08月号

この雑誌をわざわざ買ったのは、自民党杉田水脈衆院議員が寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文章の全文を読んでみようと思ったからです。すでにその内容はここ数日ネット上でも様々な方面から紹介され、批判されているので何をか言わんやですが、全文を読まないことには事の当否を判断できないですから。

mainichi.jp

読んでみて始めてわかりましたが、これは同雑誌の「日本を不幸にする『朝日新聞』」という特集の一部なんですね。他の論者の文章にもいろいろと思うところはありましたが、とりあえず杉田氏の文章にしぼると、LGBT、さらにはQ、Xと杉田氏なりに勉強された跡は見え、こうした性的マイノリティの存在を「キモい」などの一言で済ます思考停止よりは幾分マシかと思いました。

が、結局は……

(自身が通った)女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。

とか……

(性の多様性を認める報道が)普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

などと異性愛だけが「普通」で「正常」という考え方に収斂します。あまりにも幼稚で杜撰な論旨に、当然予想されたことではあるんですけど、雑誌代900円を支払ったことを後悔しました。杉田氏のこの妄言は、せっかく学んだ知識が血肉化されない典型例だと思います。

また「生産性」の部分については、既にネットをはじめとするメディア上でも数多の批判が出ているようにまんま優生思想で、現代の人権に関する議論からは激しく周回遅れです。というか、「普通の結婚」に拘泥している時点で既に学習能力の欠如をうかがわせます。何を読み、誰に話を聞き、その上で何を考えて来たのか。人は誰しも無知のそしりを免れ得ませんが、いくつになっても学ぶ習慣だけは残しとかなきゃいけません。

ところで、いま思い出しても憤懣やる方ないのが、以前お仕事でご一緒したことのある某弁護士さんのこと。この弁護士さんは、とある打ち合わせの合間の雑談で、ご自分が「通常」で「普通」と考える異性愛以外を「キモい」の一言で切って捨てたのです。筧史朗と同じ弁護士でありながら(まあ、筧史朗はマンガの中の人物ですが)、この人権意識の欠如はどうでしょう。そして私は私で、なぜあの時きちんと反論しなかったのか……今でも痛恨の極みです。

よしながふみ氏の決して声高に語ることがないけれども深い洞察と人間観を感じさせる作話術、それに対して勇ましく大手メディアを一刀両断にする千言万語を費やしながらも幼稚さと知性の不全しか感じない衆院議員の寄稿。同時に買ったこの二冊の径庭とコントラストに眩暈を覚えるほどです。