インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

暗く小さな声の生徒を前にして

通訳の訓練をしていると、生徒さんの中には、声が暗く、小さく、元気がない方がまま見受けられます。自分の訳出に自信がないので小声になるのだと思われますが、どうもそれだけではないみたい。訳出のたびに「もっと声を大きく、活き活きと、語りかけるようにしてください」と何百回(誇張ではありません)言っても改善されず、いささか倦んでます。

通訳者も一種のサービス業ですから、正確さの他に、笑顔とか明るさとかホスピタリティとか、それなりのポジティブな要素が求められると思うんですけど、いくら「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても、動か」ないのです……。向いてないというのは簡単ですけど、そうもいかず。

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ただこの点に関して、阿部公彦氏の『史上最悪の英語政策』には学校の語学教育における「楽しさ」や「明るさ」の強制に対する批判が展開されていました。昨今のスピーキング重視政策は「明るく積極的に人前で話そう」という考えとセットであり「明るさの強制」ではないかと。


史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板

もちろんこれは中高での英語教育に関するお話なので、通訳訓練と同列には論じられません。もとより通訳訓練は職業訓練でもあり、「お足」をいただく職業である以上、求められる態度というものがあるからです。ただ「感情のイデオロギー」を強要するのは一種のファシズムだと言われると、正直、心が揺れます。

実際、かつてとある学校で、暗い声のデリバリーを繰り返す生徒に対して「明るさ」を繰り返し求めたところ「個人の性格に対する不当な強制だ」という抗議を受けたことがあります。「私はそういう人間なのだ」と。それで食えるなら苦労しないので当時は意に介しませんでしたが、今にして反芻しています。

前述書には「必ずしも明朗でない生徒や、恥ずかしがり屋でおとなしい生徒に『積極性』や『前向きさ』を押しつけるほど暴力的なことはありません。そういう生徒が表層の価値では測れない能力を隠し持っていても、この『前向きイデオロギー』は彼らの潜在力を圧殺してしまうのです」と書かれています。

中高の語学教育と職業訓練は違う…とはいえ、通訳訓練をしている生徒全員がプロの通訳者になるわけではありませんし、なれません。となれば、生徒が通訳訓練を通して育てることができる自分の能力は必ずしも「前向きで明るい」ものではないかもしれない、そう考えてしまったのです。

私は同時通訳でもあまり“低調”にしていられず、つい興奮して声が大きくなってしまう人間です。中国語学校の発音訓練では先生から「みんなもっと声を大きく!あ、君はもう少し小さくていいから丁寧にね」と一人だけ注意されました。でも本当は引っ込み思案で人みしりな人間なんです(笑わないように)。

それでも語学を仕事にしようと思った時点で私は、積極的で前向きにならざるを得ないと覚悟しました。ただそれは私個人の事情であって、訓練全体に敷衍できるものではないのかもしれません。通訳訓練だというのに口と鼻を覆うマスクも取らず、目だけ出して俯いている生徒を前に、どうしたものかなあと思案することしきりなのです。いまはまだ目だった反応が見えなくても、長い時間が経つうちに何かが醸成されてくることを期待して。