インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

“語言天才”の“語言精華”に接して

先日の東京新聞朝刊に、こんな記事が載っていました。

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“相聲”は中国版漫才と紹介されていますが、二人で演じるものの他に一人や三人以上という場合もあります。いわば「ピン芸」や「スタンダップコメディ」や「コント」などを包括した話芸のひとつですが、芸能のスタイルとしては「なんでもあり」よりは「伝統的」なスタンスが強い、とても高度な言葉の芸術で、中国人はよく“語言精華”などと形容します。

ネットの動画サイトには西田氏の映像が数多く上がっているので視聴してみたら、すごく流暢な中国語です。外語として中国語を学んでこんなレベルに達するというのは、ご本人の並々ならぬ努力もさることながら、これはもう、やはり中国人がよく口にする“語言天才(語学の天才)”でもありますね。持って生まれた音感などの才能も大きく寄与していると思います。

外語として中国語を学んで、“相聲”で“語言天才”といえば、押しも押されぬ第一人者であるカナダ人の大山(Mark Henry Rowswell)氏がいます。この方は私が中国に留学していた二十年ほど前でもすでに大人気で、その極めて流暢かつ“地道(本格的)”な中国語に圧倒されました。

youtu.be

もうお一人、外国人として中国語を学んで、芸能の世界で活躍している方といえば、京劇俳優の石山雄太氏がいます。以前某所で氏の講演を聞いたことがありますが、この方も極めて流暢な中国語を話されていました。

japan.people.com.cn

また「経歴詐称」などと報道された後は表舞台から退かれてしまったようですが、かつて「中国で一番有名な日本人」として講演やテレビ番組への出演、中国語による著作などで活発に活動されていた加藤嘉一氏も並外れた中国語の遣い手です。

youtu.be

日本人が中国語を学ぶと、とかくその発音の拙さが「笑いのネタ」になる(実際に“相聲”で「それは日本人の発音だよ」という突っ込みに遭遇したこともあります)のですが、こうした「達人」のみなさん(大山氏はカナダ人ですけど)の活躍に接すると、おお、自分も頑張ろうと思えてくるではありませんか。

ただし……これらの「達人」は努力の人でもありますが、一種の芸術家でもあり、“語言天才”でもあります。私たち(と他の方を一緒くたにするのも失礼ではありますが)凡人が真似をして到達できる境地ではなく、また必ずしもそこを目指さなくてもよいのではないかと思います。

語学は、もちろん流暢であるに越したことはありませんが、流暢さや、あるいはもっと卑近な言葉でいえば「ペラペラ」を目指す前にもっと大切なことがあります。それは自分の中に自分なりの「物の見方や考え方」が母語によって培われていることです。その「物の見方や考え方」が、語学の学習を通してより深く豊かになり、多層的多面的になる……というのが外語学習の最大の「実利」ではないかと思うのです。

英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られてい」た(ウィキペディア中野好夫氏は「外国語の学習は、なにも日本人全体を上手な通訳者にするためにあるのではない」と書き、そのあとにこう続けています。

それではなんだ。それは諸君の物を見る眼を弘め、物の考え方を日本という小さな部屋だけに閉じ込めないで、世界の立場からするようになる助けになるから重要なのだ。諸君が、上手な通訳になるのもよい。本国人と区別のつかないほどの英語の書き手になるのもよい。万巻の知識をためこむもよい。それぞれ実際上の利益はむろんである。しかし結局の目標は、世界的な物の見方、つまり世界人をつくることにあるのである。
(英語を学ぶ人のために:1948年)

とかく「ペラペラ」とか「ネイティブ並み」という言葉が惹句に使われる語学業界ですが、上掲の「達人」のような努力をせずにへたに真似ると「大火傷」をするかもしれません。皮相的な流暢さと本当の意味での外語の達成は似て非なるものであり、それは大変僭越ながら「達人」の方々にとっても達成し続けることが必ずしも容易ではない、引き続いての課題であり続けるのだと思います。

qianchong.hatenablog.com