インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

謡本から五線譜への「翻訳」

六月の温習会で舞囃子「清経」の地謡に入ることになっているので、目下、謡を鋭意暗記中です。昨晩のお稽古では、お弟子さんのお一人から「謡本を五線譜にしてみました」と、こんなものを頂きました。おお、謡曲がなんだかドイツリート(歌曲)みたいな雰囲気です。

f:id:QianChong:20180405083557j:plain

謡本には「ゴマ譜(ゴマ点)」と呼ばれるものがついていて、これがいわば音符のような役割を果たすのですが、実際には師匠の謡を真似つつ音の上がり下がりを取っていきます。それが詞章(歌詞のようなものです)とともに五線譜上に再現されているのを見てとても新鮮に感じました。西洋音楽の休符と、謡本の「ヤヲ」や「ヤア」などの「間」が混在しているのも面白いです。

f:id:QianChong:20180405084236j:plain:w300

このお弟子さんは指揮者をしてらして、西洋音楽のプロフェッショナルなのですが、この「謡本から五線譜」というの、一種の翻訳みたいだなと思った次第です。表現の体系は全く違うけれど、原本をできるだけ「等価」に別の形で再現してみたわけですから。

f:id:QianChong:20180405090846j:plain

明確な旋律のない「強吟(ごうぎん)」の部分や、お囃子の拍の部分は縦線にバツ(×)の譜で書かれています。そして舞囃子の謡の最後は少し速度が落ちて終わるのですが、そこは「rit(リタルダンド)」ののち「𝄐(フェルマータ)」ですか、わはは、なるほど。

能楽の謡は絶対的にこれ! と定まった音域がなく、その時の演者の協調によって定まるものですし、リズムや旋律も定型はあるものの実際には謡本には書かれていない細かな調整や演者による異同があります。それをシステマチックな西洋音楽の音符にしても……といぶかる向きもおありでしょうが、考えてみれば西洋音楽だって同じ楽譜が演者の解釈や世界観などによってそれこそ千差万別な演奏がなされるわけです。そう考えればこの「翻訳」もありなんじゃないかな、さらにはこれによって謡曲が様々な文化圏の方々に届くと面白いな、と思ったのでした。