インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

SNSだけが世論じゃないですよね

東京新聞朝刊の「こちら特報部」は、毎日朝からどーんと読み応えがあって楽しみなのですが、先日は「裁量労働制」に関する国会論議からSNS上の虚構情報による社会の分断に論をつないでいて、いろいろ考えさせられました。

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通常の暮らしの範囲では得られないような人間関係が生まれたり、ふだん自分がアンテナを張っているエリアとは全く違うところから情報を得られたりするのがSNSの魅力です。でもそこには逆に、偏った情報や嘘の情報に容易に染まったり、心地よい仲間意識から事実よりも感情を優先したりする危険性がある、とこの記事は指摘しています。そして「サイレントマジョリティ」はそうした社会の分断を取り持つことができない、とも。

確かにTwitterを眺めていると、極端な予断や偏見が大手を振って拡散されたり、そうした意見ばかりがタイムラインに次々と並んであたかも社会全体がそうであるかのように錯覚されたりしがちですすよね。また周囲を見れば、自分の家族を含めてTwitterFacebookInstagramなどのSNSをしていない人も多く、SNSだけが世論や社会の実相だと思い込まない(冷静に考えればそんなわけないのですが)ように自分を戒めています。

私はネットのニュースや情報もよく利用しますが、そのぶん新聞や雑誌や書籍にも積極的にアクセスするというバランスが必要じゃないかと思って、せっせと読んでいます。電子辞書(も今や古くてスマホによるネット辞書ですか)か紙の辞書かの議論に似ていますが、見出しから欲しい情報(ニュース)にダイレクトにアクセスするだけだと何か大事な物を見落としてしまうような気がするのです。以前こちらの記事で書いた「トンネルデザイン」のように。

http://qianchong.hatenablog.com/entries/2013/06/10qianchong.hatenablog.com

同時に、実社会で人に面と向かって言わないようなことはSNSでも言わない、SNSの情報に短絡的に飛びついて反応せず一旦深呼吸して冷静になる、というのも大切かなと思っています。またできるだけネガティブなことは発信せず、いわゆる「ポジ出し」や「善意の批判」を心がけるとか、あまり私的に過ぎる他人から見れば「どーでもいいこと」は書かないとか、「です・ます」で語るとかも。

SNSはその拡散性が人の虚栄心や自己顕示欲(それは承認願望からくるのかもしれません)を刺激し、昂進させる妙な力を持っています。少しでもリツイートや「いいね」があると、ふだんなら誰も自分の言うことに耳を傾けてくれないのに、SNSではあたかも自分の声が届いているような「全能感」に安易に浸れてしまう。ネットが巨大なだけに、そこからのレスポンスを実体以上に大きく感じてしまうからなのかもしれません。

ちなみに、この「特報」の脇に佐藤優氏のコラムが載っていて、これも特報の内容に絡んでいてよかったです(ちょいと東京新聞推しがつよいけど)。「新聞は情報の基本インフラ」というの、細切れのタイムライン的なニュースばかりに接してちゃまずいという意味で首肯することしきりでした。

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