インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

塩津哲生師の神舞

先日見に行ってきた「若者能」の番組(プログラム)でもう一つ、どう言語化してよいかわからず、エントリに載せなかったものがあります。塩津哲生師の舞囃子高砂』です。だって「すごい」としか言えないんだもの。「すごいものはすごい」のだから「すごい」だけでもいいんですけど。

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qianchong.hatenablog.com

公演前の解説でも触れられていましたが、『高砂』は結婚式でその一部の謡が披露されることも多い*1おめでたい曲(演目)です。ちなみに結婚式で新郎新婦が座る席を「高砂」と称するのもここから来ているそう。なぜ新郎新婦が「高砂」とつながるかについては、こちらをご参照ください。

高砂 (能) - Wikipedia

この『高砂』、能のお稽古では前述の「〽︎高砂や〜」を最初に教わりましたし*2、能の公演で一番最後に謡われることのある「附祝言*3」のひとつである「千秋楽は民を撫で/万歳楽には命を延ぶ/相生の松風/颯々の声ぞ楽しむ/颯々の声ぞ楽しむ」も入っているので、ある意味お馴染みで、一度は舞囃子*4で舞ってみたいな~と憧れる曲でもあります。

とはいえ。

舞囃子高砂』には「神舞(かみまい)」が入っているのです。

舞囃子は、つづめて言えば地謡と囃子による音楽を背景に装束(衣装)を着けずに舞うものですが、一部に囃子だけで(つまり地謡は入らず)舞う部分があります。この舞には様々なものがあるのですが、『高砂』で舞われるのは「神舞」です。この「神舞」、その名の通りほとんど「神ってる」(もはや古いですね)。神速という言葉もありますが、そのスピードが尋常ではないのです。私は他のお弟子さんが「神舞」のお稽古をしているのを何度か拝見したことがありますが、とにかく速い速い。でも一つ一つの舞の型はきちんとおさえて舞わなければならない。とにかく「神舞」とはとんでもなく早回しの舞だというイメージしかありませんでした。

ところが。

塩津哲生師の「神舞」は、う~ん、こんな言い方をしていいのかわからないけれど、とてもゆったりしたものに感じられたのです。「神舞」には違いないのですが、なぜか「速い」とか「せわしない」という雰囲気がない。最初は「あれ、『高砂』の舞って『中之舞*5』だったかしら?」と思ったくらいです。とにかく、神速などという言葉では言い尽くせない別の次元の「何か」でした。

……と余韻に浸りながらの先日、塩津圭介師の稽古場にうかがった際、ちょうど圭介師がお弟子さんに「神舞」を指導している場面で「神舞は颯爽と舞う」のだとおっしゃっていました。

なるほど、颯爽か。そうだ、塩津哲生師の「神舞」は颯爽としていたのです。力強くも、優雅。裂帛の気迫がありつつも、無駄な力は皆無。流れるようなスピードがありつつも、端々にあふれる余裕のある動き、あるいはメリハリ。ああ、やはり私の語彙力ではどうしても的確な言語化ができません。とにもかくにも、お囃子とセッションするように身体が、扇が動き、拍子が僅かにずれて踏まれていくのさえひとつひとつ味わい深い……そんな心持ちでした。

すごいものを見た、と思いました。

*1:かつては、でしょうか。私が小学生の頃は、例えば親戚の結婚式で私の祖父母世代のお年寄りが「〽︎高砂や~」と謡っていたのをかすかに覚えています。

*2:流儀によって違いはあるかもしれません。「高砂や/この浦舟に帆を上げて/この浦舟に帆を上げて/月もろともに出で潮の/波の淡路の島影や/遠く鳴尾の沖過ぎて/はや住吉に着きにけり/はや住吉に着きにけり」という短い謡です。

*3:つけしゅうげん。最後の演目の、終幕の謡がネガティブ(という形容もナニですが)なものであった場合に、最後はポジティブな詞章(歌詞)で締めくくるために謡われるおめでたい謡です。

*4:これについては、いずれ別エントリで詳しく書きたいと思います。

*5:一般的には最初に習う、中庸的なテンポの舞です。これについてもいずれ別エントリで。