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インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

大雑把な質問

ことば ほん

報道ステーション』を見ていたら、ワールドカップの決勝で負けたことについて記者が岩清水梓選手に「サッカー人生の中で何番目の悔しさですか」とインタビューをしていました。岩清水氏は困惑しつつも「三番以内には入りますね」と答えていました*1が、こんな質問をすることにどんな意味があるのかなと思いました。その答えを聞くことで、この記者は何を「報道」しようとしているのでしょうか。

僭越ながら、私が岩清水氏だったら「失礼なことを聞かないでください」と怒っちゃうと思います。あるいは「別に……」とでも言っちゃいますか。どうしてこのような中身のない、よしんば「最も悔しいです」という回答が戻ってきたとしてもだから何なんだ的な質問が繰り返されるのでしょうか。

実はこれ、今に始まった現象ではありません。政治学者の岡田憲治氏は、元サッカー日本代表の中田英寿選手が日本のメディアにおいて評判が良くなかったことを取り上げて、中田氏を擁護した上でこのように書いておられます。

インタビュー、とくにスポーツ中継におけるインタビューを見ていて、本当にやり切れなくなる最大の理由は、インタビュアーが、話し手から何かを「引き出す」のではなく、もう当然あるだろうと勝手に判断した選手の「気持ち」を確認するためだけに尋ねる、予定調和を促す、例のあの大雑把な質問が延々と続くからです。(強調は著者ご自身による)
言葉が足りないとサルになる

岡田氏は、「言葉で表現することの持つ、たくさんの可能性を無視し、考えようとも、探ろうともしない」こうしたありようを「言葉をめぐる精神の怠惰」と厳しく批判しています。ワールドカップの決勝戦にまで進んだ一流のアスリートがどのようなことを考え、私たちはそこからどんな新しい発見ができるか。記者のみなさんにはぜひ、そういった創造的なスタンスでのインタビューをお願いしたいと思います。

一方で、インタビューされる側のスタンスも大切だと思います。日本サッカー協会では、自分の考えを明確に説明し、創造的なプレーを行える選手を育成するために必要なのは論理力と言語力であるとして、「言語技術」のトレーニングを若年層の選手に課しているそうです*2

今度「何番目の悔しさですか」などと聞かれたら、「悔しさの順位をつけることに意味があるとは思いません。今回のワールドカップで得られた達成はこれこれで、教訓はこれこれ、特にここが今後最も強化が必要だと思います」などと言葉を駆使することで失礼な記者を諫めてほしいですね。それが果たしてオンエアされるかどうかは保証の限りではありませんけど。

そして自分がここから学ぶべきは何でしょうかね。まあ家族や友人との他愛ない会話はさておき、少なくとも他の場面では「やばい」とか「うざい」とか「ぱねえ」とか「きもい」とか「まじ」とか「がち」とか……に頼らず、自分の考えをできるだけ丁寧に言葉として組み立て、発していくことかな。

*1:録画していないので、質問・回答とも記憶に依ります。

*2:「言語技術」が日本のサッカーを変える田嶋幸三著・光文社新書