インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

拍手とブラボーについて

夏の稽古会は無事に……でもないけど、なんとか終わりました。私は「賀茂」の仕舞と、「野守」「紅葉狩」の連吟と、先輩方の仕舞の地謡をいくつかつとめさせていただきました。

打ち上げの宴会で大先生(おおせんせい)が「最後に向かってどんどん盛り上がっていく熱気がよかった」と仰っていました。最後の番組『紅葉狩』でつとめさせていただいたワキ謡、緊張のあまりがたがたでしたが、少なくとも詞章を間違えたりしなくてよかった、と思いました。

その宴会で大先生に伺ったお話ですが、能の終幕、橋懸かりを渡っているときに客席から拍手が来ると、「ああ、うまく行かなかったのか」とがっくり来るのだそうです。大先生は多くを語られませんでしたが、観客が拍手をする=舞台が終わったと観客の心が切り替わる…くらいではまだまだ、と仰っているのだろうなと思いました。

実は私もつねづね、舞台と客席を仕切る幕がない能舞台において、終幕で拍手をするのが何となくはばかられるような、あるいはシテ方が揚幕の奥に消え、ワキ方が、囃子方が下がり、同時に地謡も切戸口から帰っていく一連の流れの中で、どこで拍手をしたものか……といった、なんとなくもやもやとした気持ちがあったのです。

どなたかが書いていたことの受け売りですが、何もない空間に物語が立ち上がり、時空を超えた世界が広がった後、潮が引くようにふたたび何もない空間に戻っていく、そしてあとには何も残らない……のが能の醍醐味で、拍手による区切りはいらないのではなかろうかとも。

とにかく斯界の泰斗ともいうべき先生から「拍手は、本当は控えていただけると……」との本音を聞くことができて、大いに意を強くしました。これからは私、拍手はしません。余韻を楽しんで、能楽堂を出て帰路に就き、駅のホームあたりまできたら、感動を反芻しながらそっと拍手しようと思います。

余談ですが、大先輩のお弟子さんに伺った「クラシックの演奏会における『ブラボー』は何とかならんのか論」にも苦笑し、首肯することしきりでした。今でもいらっしゃるのね、演奏が終わるか終わらないかの瞬間、誰よりも早く「ブラボる」ことにのみ執念を燃やされてる方。そろそろ「ブラ禁」をアナウンスすべき時代ではないかと先輩は仰っていました。同感です。