インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

義父と暮らせば15:「頭でっかち」はや〜めた

これまで、お義父さんとの食事がストレスでした。

きのう何食べた?』のシロさんよろしく「あまからすっぱいのバランス」を取りつつ色々と作っても、食事中はほとんど無言ですし、何もかも一緒くたにして食べちゃうし、味が足らないのか何にでも醤油やポン酢をどばどばかけちゃうし、口に合わない料理の時は、食べ慣れたタクアンやスルメなんかを引っ張り出してきてご飯をかきこんで……「ごっそさん」と自分の部屋に引き上げちゃう。

正直、お義父さんが食事をしている間は落ち着きません。見ているだけでハラハラしますし、細君が大皿に盛った料理をぐちゃっと崩されるのを嫌って、小皿にとりわけてあげようとするも、「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……となったりして。

それで、最近はまずお義父さんに一人で食べてもらって、お義父さんが自室に引き上げた後に後かたづけをやり、それから細君と私でゆっくり食事というパターンが多くなりました。それでも鍋なんかするときはそうも行かないですけど。

ただ、お義父さんが先に一人で食べると言ったって、やはりなんだかんだ気になります。もう食べ終わったかなと思いながら仕事をするのはほとんどムリ。というわけで結局夕飯の買い物から我々が食べ終わるまで何時間もほとんどダイニング(といっても台所の脇ですが)に貼りつくことになります。これがけっこうしんどい。そういう感じで、私たち夫婦が一方的にストレスをためているという認識だったんですけど、実は最近、お義父さんもお義父さんでストレスをためているんだということが分かりました。

自分のしたいようにしたい

数日前、たまたま私は急ぎの在宅仕事があって二階にこもっていて、夕飯を作った後にお義父さんと細君だけ先に食べてもらっていたんですが、そこでも件の「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……が再演され、それがエスカレートして、とうとうお義父さん、キレちゃったそうです。

お前たちがいるから自分のしたいようにできない! もうこの家から出て行け!

細君は「ここまで世話してるのに、なんてことを言うんだ!」と激怒したそうですが、いや、これ、お義父さんの本音だったのだと思います。

私たちは生活が不自由になってきたお義父さんと同居して、あれこれサポートしているつもりになっていて、それで時々息が詰まって「たまにはデイサービスとかお泊まりとかで家を空けてくれたら落ち着くのになあ。いわゆるレスパイトケアも必要だよ」などと上から目線の会話をしていたのです。でもお義父さんにしてみれば、それなりに我々に気を使い、なおかつ食事も口に合わないものばかり食べさせられる、自分で大皿から好きなだけ取ることも許されない……というふうに感じていたのかもしれません。

考えてみればお義父さん、我々が同居するまではひとりで自由気ままに暮らしていたのです。昼間から飲んだくれて肝機能を損ない、超高血圧で医師から「あんた、このままじゃ死ぬよ」と言われたくらいでしたが、ストレスはそれほどなかったはず。食事のバリエーションは昔から比較的単調だったそうで、気に入ると同じものを何日も続けて食べるのが好きです。毎日色々な料理が手を変え品を変え出てくる、特に食べつけない西洋風なものも出てくるのは、お義父さんにしてみればストレスであったのかもしれません。

我々が同居に踏み切ったのは、実家に戻るたびにかなり行動が怪しくなってきたように見受けられたお義父さんが、細君に「死ぬ前にもう一度お前と暮らしたい」と漏らしたからです。でもそれだってひとり暮らししていれば誰しも時々襲われる孤独感がたまたま水面上に顔を出しただけで、基本的にそれほど暮らしに不自由していたわけではないでしょう。年金はキッチリいただけてるし、認知症が始まっているとはいえ、まだまだ自分の身の回りのことは自分で何とかできる「要支援」の段階ですし。細君は私と結婚するまではお義父さんと二人暮らしでしたが、当時から細君は仕事で帰宅が遅く、夕飯はいつもお義父さんひとりで晩酌しながら適当に食べていたそうです。

家族のありようはそれぞれ

こんなこと言っちゃナニですけど、家庭のありようはその家庭によってずいぶん違うんだなと。自分には想像もできないような「家風」もある。私はそんな「当たり前」に思いが到ってなかったですね。細君は幾度となく私に「うちのお父さんは食べ物にこだわらない人だから、そんなに手をかけて色々作らなくていいよ。刺身とおひたしと冷や奴くらいが毎日出ても喜んで食べるから」と言っていて、でも私は「いや、それはいくらなんでも……」とまともに取り合わなかったんです。

私の両親は家族一緒の食事を大切にする人たちなので、私も同居したからにはぜひともお義父さんと一緒に食卓を囲んで、これまであまり食べたことのないようなものも試してもらって少しでも脳に刺激を……みたいな固定観念で「頭でっかち」に頑張っていたんですけど、あ、なんか、これ、違うんだなと思い至りました。私は高校生の時に家を出て、それから両親と同居したことはほとんどありませんし、お年寄りとの同居はもちろん初めて。というわけで、子供の時の自分の家のありようを、勝手に細君の実家にも投影していたわけです。

我々の暮らしにお義父さんは干渉しないでほしいと思ってきた我々ですが、逆に我々もお義父さんの暮らしに干渉していたのです。一つ屋根の下に暮らしていてもつかず離れず、必要なとき以外は「我関せず」で構わなかった。でもって、お義父さんがデイサービスやお泊まりに出かけてくれないなら、我々がどんどん出かけてっちゃえばいい。家を空けている間は心配ではあるけれど、それもこれもひっくるめて何かあったらその時はその時と腹をくくるしかない。そう考えて気が楽になりました。

お年寄りとの同居には家庭ごとに様々なパターンがあるはずですから一概に言えませんが、少なくともうちのお義父さんの場合は、現時点(まだそれほど介護に手間がかからない状態)ではお互い自力更生で、必要なところだけ頼る利己主義で「ぜんぜんOK」だったんです。もっと肩の力を抜いていい。自分の人生中心でいい。お義父さんの好みは半年でだいたい分かりましたから、その中のバリエーションを繰り回して、ちゃっちゃとご飯作ればいい。もちろん時には張り込んで、一緒に食卓を囲んでももちろんいい。

先に頭でこさえた理想を実践に移しても、ロクなことにならない場合が多い……とまた一つ思い知らされた気がします。いやこれ、最近の出来事に顔面の麻痺が重なって自省を繰り返すうちに頭でこさえた、とりあえずの結論ですけど。

実はいま、口の半分が麻痺しているので、ものがうまく食べられません。それでも何とか慣れて、こぼさないようには食べられるけど、見た目あまり「お行儀がよくない」感じに。ぐちゃっと食べちゃうお年寄りの気持ちがほんの少し分かるような気がしました。