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インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

義父と暮らせば13:「かわいいおじいちゃん」になりたい。

くらし

先日、小田嶋隆先生のライティング講座を聴講してきました。この日のお題は「手紙」。メールが普及した昨今、わざわざ手紙をしたためる機会も減りましたが、あらためて書いてみると思わぬ発見がありました。

小田嶋先生曰く……

明晰な文章を書こうと思って文章を書いても明晰にならないことがある。思想・感情・見解だけで文章を書いていると、人生の細かいモノ・小さいモノが拾えなくなり、結果文章がつまらなくなる。

書くことの効用の一つは、その文章を書かなければ一生気づかなかったような自分の内部が出てくるところにあり、手紙を書くことは相手との一対一の関係性から出てくる、私的な、リアリティのある、細かい話をはき出す作業でもあり、ときに自分の過去や、無意識の中に封印しているモノが出てくることがある。

……のだそうです。雑駁なまとめですみません。

というわけで私は「尊敬していた中国語の先生から駐車違反の肩代わりを依頼されたことで初めて『他民族』に向き合う覚悟ができた」という実体験をもとに、すでに鬼籍に入られたその先生に宛てて手紙を書いてみました。制限字数いっぱいにゴリゴリと書いたソレは箸にも棒にもかからなかったようで、ほとんど講評はいただけませんでしたが。わはは。

と……本題はそっちじゃないんでした。

かわいいおばあちゃん

講義の中で小田嶋先生は「何度かこういう課題を出しているけれど、おばあちゃんに宛てて手紙を書く人が一定数おり、しかもとてもいい手紙が多い。その反面、おじいちゃんに宛てて手紙を書く人はほとんどいない」とおっしゃっていました。

その理由としては、専業主婦というありようが過去のものになりはじめてからこちら、幼少時に両親が共稼ぎだったためおばあちゃんに育てられた・可愛がられた経験のある人が増えてきたからではないか、おばあちゃんが亡くなるのはちょうど多感な青少年時代であることが多く(これが両親となると、自分も50代くらいになっているから感性が全然違う)、その多感な時期の喪失感が思慕の念につながり、自らの内面に込めた思いが比較的素直に表出されるのではないか……とのこと(これも雑駁なまとめだなあ)。

う〜ん、まあもちろん、一般化はできないですけどね。私の祖母は、母方は遠くに住んでいた上に私が幼い頃亡くなってしまったのでそれほど思い出が多くないし、父方はかなり気性の激しい人だったのでこちらも「思慕」に足る思い出がありませんし。

ただ、小田嶋先生の見立てで興味深かったのが「おばあちゃんは『かわいい』からではないか。かわいいおばあちゃんに宛てるから、手紙も自ずとハートウォーミングなものになるのかも」という部分。なるほど、確かにそうですね。

ところでなぜ、おばあちゃんだけが「かわいい」のか。その死後も折に触れて思い出し、手紙を書きたくなるくらいに思慕するのか。「かわいいおじいちゃん」というのはあまり聞きません。おじいちゃんはだいたい頑固で偏屈で生活力がなくて過去の栄光にとらわれすぎてますからね(ひどいこと書いてるな)。でも前にも何度か書きましたが、ケアマネさんの話などを聞いても、おばあちゃんは老いても社交的で新しい環境にも比較的溶け込みやすい一方で、おじいちゃんは社交性も社会性もなく、固陋な精神に引きこもってしまう人が多いと。たびたび引き合いに出して悪いけど、うちのお義父さんなんかは完全にこのタイプだなあ。

多くの女性に共通する生き方の何かが、「かわいいおばあちゃん」を招来するのでしょうか。そこから世の男性諸君の生き方の、考え直さなければいけない何かが見つかるのかもしれません。安易に思いつくのは、これまでの男性の仕事中心・会社中心の生き方が男性の老後を固陋なものにしているという因果論ですが、それじゃあまりにも粗雑だからもう少し考えてみたいと思います。

かわいく老いるには

ところが、先日友人夫婦と食事をした際にこの話をしたら、「昨今は『オヤジギャル』みたいな女性もいるから、今後はかわいくないおばあちゃんが急増する可能性もあるのではないか」と言われました。その一方で、これまでの「男はこう、女はこう」という旧弊にとらわれない男性も少しずつ登場しているから、そういう男性がかわいいおじいちゃんになる可能性もあるのではないかと。

なるほど。というわけで、新たな人生の目標が加わりました。かわいく老いるにはどうすればよいかということです。自他共に認める「おばおじさん」の私としてはじゅうぶん実現可能だと思っているのですが、どうかな。“想得美(考えが甘い)”かな。

追記

ちなみに、その箸にも棒にもかからなかった手紙はこれです。


陳志明(仮名)先生

先生が亡くなって十年。日本語と日本文化を知悉されていた先生が今の日中関係をご覧になったら、きっと嘆息なさるでしょう。私たち中国語の通訳者にとっても厳しい時代になりました。

先生に初めてお目にかかったのは、通訳案内士資格の受験講座でした。日本の様々な事象を流麗な中国語で表現し、その文化背景から故事来歴までを巧みな日本語で解説する先生の博覧強記ぶりに、私たち生徒は畏怖さえ覚えたものです。

その後、無事に試験を突破した我たちは、先生の奥様が営まれていた中国料理店で祝杯を挙げました。先生は自ら厨房に立ち、故郷上海の家庭料理をふるまわれました。普段は厳格な先生の、別の一面に触れた楽しい宴でした。

ところが、翌日先生から頂いたあのお電話。

「路上駐車で切符を切られましてね。点数が溜まっていて、これ以上の違反は免停です。代わりに交番へ行ってくれませんか」。私が逡巡していると、先生は中国語で“那怎麼辦?(じゃあどうすればいい?)”と語気を強めました。

私は即座に理解しました。こういう時に一も二もなく手を差し伸べるのが中国語に言う“夠朋友(友達甲斐がある)”であり、それを他ならぬ私に頼むのは、何よりもの信頼の証なのだと。

罰金は先生が負担されました。そして私は長年続いたゴールド免許が切れ、その後しばらく車の保険料が割高になりました。

先生のあの透徹したリアリズムによって、私は初めて「他民族」という言葉の実体に触れた気がしました。そしてそれは駆け出し通訳者だった私の覚悟を固めてくれました。この世界には大きく異なる価値観が偏在しており、だからこそその狭間に架橋する私たちの仕事も必要なのですね。

医者嫌いだった先生は定期検診さえ受けず、発見時には手遅れの癌で急逝されました。私もいつかはそちらに伺いますが、浄玻璃の鏡にくだんの悪事が映し出されたら、ぜひ“夠朋友”の精神で巧みな弁護をお願いしたいと存じます。