インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

能とバッハとロックンロール

朝、細君を駅へ送った帰りに、車の中でInterFMの“Barakan Morning”を聴いていたら、珍しくバッハがかかっていました。

番組のウェブサイトによると、"BWV 1067, MENUET ー BADINERIE" AURèLE NICOLET & KARL RICHTER & MUNICH BACH ORCHESTRA です。ネットではこちら(下の方にYouTubeがあります)に。

ラジオでかかったのは最後の部分(22:16から)ですが、この演奏をピーター・バラカン氏の評していわく「ほとんどロックンロールですね」。ああ、ホントにそうですよね、このビート感というか「ノれる」感じ、確かにロックの精神を感じます。

最近同じようなことを能の稽古中にも感じました。いま謡は『野守』のキリの部分を稽古中なんですが、これがもうビートが効いていて、何とも爽快です。しかもそのビートに乗った言葉(詞章)がまたしびれる。

時も虎伏す野守の鏡
法味に映り給へとて
重ねて数珠を
押し揉んで
大嶺の雲を凌ぎ/大嶺の雲を凌ぎ/年行の功を積む事一千余箇日/屢々身命を惜しまず採果/汲水に暇を得ず/一矜迦羅二制多伽/三に倶利伽羅七大八代金剛童子
東方  
東方降三世明王も此の鏡に映り
又は南西北方を寫せば
八面玲瓏と明らかに
天を寫せば
非想非々想天まで隈なく
さて又大地をかがみ見れば
まづ地獄道
まづは地獄の有様を現す一面八丈の浄玻璃の鏡となって/罪の軽重罪人の呵責/打つや鉄杖の数々ことごとく見えたり/さてこそ鬼神に横道を正す/明鏡の寶なれ/すはや地獄に帰るぞとて/大地をかっぱと踏み鳴らし/大地をかっぱと踏み破って/奈落の底にぞ入りにける

何だかよく分からないながらも、も〜何かどえらいことが起こっていそうな感じがしません? 日本語がお分かりならこのスペクタクルなイメージの横溢にただならぬパワーを感じ取ることができると思います。

ネット上に音源や映像は見当たりませんでしたが、喜多流の『船弁慶』の終幕部分(キリ)がこちらに。『野守』の終幕部分と共通するテイストです。テイスト……ってのも何だか軽い表現で恐縮ですが。


noh FUNABENKEI - YouTube

どうですか、このめくるめく高揚感と疾走感、そしてグルーヴ感。能といえば、難解でスタティック(静的)なもの、という先入観が吹き飛んでしまいます。

もちろん能には、静かで、わずかな動きの中にパワーが凝縮された(したがって「ちょっと見」にはほとんど動いていないように見える)ものも数多くあって、それはそれで奥深いものがありますが、それとともにこういうロックな、あるいはジャズセッションのような音と言葉の共鳴に触れ、その中で繰り広げられる舞を見ると、あああ、よくぞ現代にまでこれが伝えられてきたものだなあ……と深い感慨にふけってしまうのです。

ソチ五輪フィギュアスケートなどを見ていると、フリーなどこういうので滑ってもいいんじゃないかと思います。確かこれまでは、ボーカルの入った音楽はNGだったはずですが、先日こんな報道がありました。

フィギュアスケート ルールはどう変わるべきか? | THE PAGE(ザ・ページ)

この記事によれば、これまでアイスダンスにのみ認められていたボーカル入りの音楽が、来シーズンから男女シングルやペアでもOKになるよし。能のシテ謡や地謡もいわば「ボーカル」ですから、はい。いつの日か、能の謡とお囃子で氷上の舞を披露してくれる選手が登場することを夢想しているのです。