インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

成長から成熟へ

中国人とお仕事で一緒になると、ときどき“不成熟”というお叱りを頂戴することがあります。いえ、お叱りと言っても本当に怒っているわけではなく、なかば諧謔とユーモアと老婆心を込めて「成熟してないね」とおっしゃってくれるのです。

私は昔から実年齢に比して若く見られることが多く、日本人的にはまあ特に忌避すべきものでもないんですけど、中国人的な価値観、特に中年以降の男性のあり方としては「ちとマズいんじゃないの」ということになるんです。

彼らの言う“成熟”とは、いい年してみっともない事しないから始まって、清濁合わせ飲み、ユーモアと毒と経済的余裕と可愛げを持ち、外見や背格好や立ち居振る舞いがほぼ然るべき所にあるという、私など三度生まれ変わっても体現できない境地です。

う〜ん、自分にはそういう要素は皆無だな。余裕というものが欠けてるもの。私は時々能楽を見に出かけますが、自分がお稽古している喜多流だけじゃなくて、観世流とか金春流とかの舞台も見ます。で、それを知った師匠から「他流儀の舞台もご覧になっているんですね(決してダメと言っているわけではなく、勉強熱心ですねという意味)」と聞かれたときに「いえ、でも、まあ、そんなに見てません……」などうろたえちゃったりするんですけど、成熟した大人というのは例えば「やっぱり破門ですか?」とカラカラ笑う、みたいなもんですかね。

それはさておき、ことほどさように「成熟」に憧れている私ですから、書店で「成熟」の二文字を見かけたら必ず手に取り、そのほとんどを買って読むことになります。それで先日も某作家の手になる「成熟」を説いた新書を買って読んだのですが……う〜ん、ここまで空疎で支離滅裂な本は久しぶりでした。

おすすめしたくもないからリンクも張らないでおきましょう。それでも買って読んでしまったのは、書名と、目次に並んだ各章のタイトルが面白そうだったから。あれは編集者がつけたのかな? だとしたらその力業には心からの敬意を表したいと思います。

次に読んだ天野祐吉氏の『成長から成熟へ——さよなら経済大国』は、うってかわって素晴らしい内容でした。雑誌『広告批評』やマスメディアでの論客として有名な氏が亡くなったのは昨年十月。たぶん最後の一冊になった本だと思います。


成長から成熟へ さよなら経済大国 (集英社新書)

天野氏は日本の敗戦後から高度経済成長を経て今日に到るまでの消費文化を、ご自身のフィールドとされていた広告の側面から俯瞰して語ります。広告と言えば単に物を売って利益を上げるための道具と思われがちですが、広告にはそれ以外にも時の政府の批判や文明批評までも含んだ大きな役割があるという氏の考え方が軽妙洒脱な語り口で綴られています。

そしてこれまでの大量生産・大量消費を振り返り、昨今のグローバリズムを憂い、3.11以後の私たちが目指すべきは「成長」ではなく「脱成長」、成熟した「別品」の国ではないかと説くのです。「別品」というのは一等(一品)、二等(二品)、三等(三品)……という順位のカテゴリーには入らない、別格で個性的なありようのことだそう。大いに共感を覚えます。

冒頭で語られる「マスク・原発・テレビショッピング・福袋・リニア新幹線」への違和感も大いに共感しましたし、政府の広報活動に対する鋭い批判にもうなりました。そして文中に引用されているフランスの経済学者、セルジュ・ラトゥーシュ氏のこの言葉が、昨日のエントリともあまりにシンクロするので驚きました。

「脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす」

最近へ移行して読んだ、あるいは読んでいる平川克美氏のいくつかの著作、『経済成長という病』『移行期的混乱: 経済成長神話の終わり』『小商いのすすめ:「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』などとも通底する読みごたえのある一冊でした。

ちなみに、件の某作家による「成熟」に関する新書、Amazonマーケットプレイスに出したら秒速で売れました。ミリオンセラーに迫る勢いだそうですから、人気なんですね。私は捨てたお金が戻ってきたみたいで何だか申し訳なかったですが。

追記

成熟と言えば、先日都内某所で聞いてきた対談イベントに『大人力検定』で有名なコラムニストの石原壮一郎氏が登場して、ご自身の本が中国で出版された話をされていました。『大人力検定』の中国語版が出たんだそうです。

http://www.amazon.cn/dp/B003WNA9EY

石原壮一郎氏は中国語版の出版をめぐって「一番『大人』から遠い人達の国でねえ……」とギャグを飛ばしていましたが、私は「あちらにも“大人”という理想があるんだけどね」と思いましたよ。まあそれはさておき、この訳書名が《成熟度鑒定書》なんですね。

う〜む、これは氏一流のユーモアや笑いは訳され(訳せ)なかったのかな……と思ったら、案の定“不知不觉间就会掌握成熟度,同时提高您的成熟度”と真正面から紹介されちゃってて、それを真に受けてノウハウ本として読んじゃった読者諸氏から、“有點幼稚”とか“沒太大用處”などといったレビューがついちゃってます。あああ。