インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

親の家を片づける

先日新聞を読んでいたら「親家方(おやかた)」という初耳の言葉が載っていました。「親の家を片づける」で略して「おやかた」。う〜ん、正直あまり秀逸なネーミングじゃないなと思いつつも、この言葉を冠した書籍が出ていることを知り、Amazonに行ってみて驚きました。特にレビューの部分。軒並み高評価なんですが、その一つ一つのレビューを読んでいると、興奮を抑えきれなくなります。

父母ともに、戦後のひもじさや貧困を幼少期に経験して、昭和の経済成長をバリバリに経験して生きてきた人間だったので、その物欲と上昇志向たるや、呆れるほどのものがあり、役に立たない置物や巻物、壺から剥製、とても自分たちの生活レベルとは身分不相応なものを大切に押入れにしまったりしていました。

あるある、壺や置物や剥製。私の実家にも、今住んでいる義父の家にも、花を活けるには大きすぎるけど傘立てにもならないような壺、ど派手な獅子や北海道の熊なんかの置物、長い尾が京劇っぽい雉の剥製(それもつがいで!)があります。もう笑っちゃうくらい似てる。


親の家を片づける―ある日突然、膨大な老親の荷物や家の整理と処分が、あなたの身に降りかかってきたら、どうしますか? (ゆうゆう特別編集)

というわけで早速購入して読んでみましたが、いやあ、重い。重すぎる。親が突然倒れた、要介護状態になった、或いは亡くなったなどの理由で、それまで離れて住んでいた子供が親の家を片づけることになって初めて直面する事態をルポルタージュした本なんですが、ことに驚かされるのが「どこの家族にもほとんど共通なんだ……」という思い。

共通というのはつまり、親の世代が戦中戦後の貧しい時代に生まれ、その後高度経済成長をその身に体現してきた人たちで、年齢を重ねるにつれてモノに対する執着が一層強まり、全く必要でないモノまで大量に家に詰め込んだあげく、自分でもどうしようもなくなって子の世代が片づけに直面し、精神的肉体的にものすごく大きな負担を抱える……という構図です。

タンスまるごと空にしてみて、残す必要なものは何ひとつなかったことがわかった時のあの徒労感、で、「これでだいたいこの部屋はもう終わったはず」と思ったら、その奥から手つかずの押入れが現れる…

これは私たちが義父との同居に際して片づけを行ったときにも感じました。あまりにモノが多くて手が回らず、今でも天袋や押し入れの多くは手つかずのままです。九州にある私の実家はもっと大きな家なので、一体どれくらいの押し入れがあるのか想像もつきません。そして、片づけに際して必ず直面するのが、親の世代の「抵抗」です。

自分の領域なら一気に断捨離もできましょうが、親の領域はそうはいきません。親はモノを減らすことに興味がなく、抵抗だけがあります。「私が死んでから片づけてッ」と言われた時には口論にも。

細君によれば、お義父さんも現役時代は片づけ魔で、無駄な物が出してあると「仕舞いなさい!」と叱り、床に物を置くのも許さないほどだったそう。それが定年を迎えた頃から、記念品や思い出の品的なものに執着しだして、今では棚と言わず床と言わず家中にモノがあふれています。

分かるような気もするのです。お義父さんにとってはそれぞれ意味のあるモノなのでしょう。また身体が思うように動かなくなった今、必要なモノをすぐに手に取れるところに置きたいというのもあるのでしょう。

ただ、壊れて使わなくなってしまったガスストーブ、泊まり客があることは金輪際ないのに何組もある布団、うちの実家の場合だと何十年も読んだことがない日本文学全集、同じく何十年もカバーさえ取っていないアップライトピアノなど……合理的に考えれば処分すべきモノたちが家の中に残されているのが我々の親世代の特徴のようです。とはいえ、その「合理的」という部分が、親世代にとっては必ずしもそうじゃないんですね。

戦中戦後の貧しい時代に生まれ、高度経済成長をその身に体現してきた団塊もしくは団塊+α世代は、モノを捨てられないのかもしれません。だからどの家庭も驚くほど状況が似ている。もちろん「もったいない」というのは美徳ではありましょう。が、その一方で戦後の日本がアメリカに追随して大量生産・大量消費という波に乗り、その波に追い立てられるようにしてモノを買い込んできた世代の、一種の悲哀のようなものも感じてしまうのです。

これは、戦後の高度経済成長の「消費は美徳である」という価値観への総括でもある気がします。「戦後とは何だったのか、昭和とはなんだったのか、高度成長とはなんだったのか」とまで考えさせられます。そして、はしばしにも書かれていますが、親たちとのそういった経験から、自分たちがこれからどう生きていくべきか、にまで考えさせられる気がします。

この本は、コンパクトな作りながら様々な示唆を与えてくれます。現在、政財界の要路にある人たちは今だに「経済成長」を謳っていますが、高度経済成長をになった世代が徐々に引退し始め、人口も減少に転じ、食糧やエネルギーを含めて新たな課題に直面している私たちは、成長より成熟を目指さなきゃいけないのに何をやっているんだろう……そんなことまで考えさせられました。

上記のような重い事例だけでなく、親自身がじぶんできっちり「おとしまえ」をつけて片づけた「あっぱれ」な例も収録されていて、救われた気分になります。また自分が「親家片」に直面したときのノウハウ的情報もまとめられており、編集者の力量と心配りが感じられる構成です。

なお最近、このノウハウ部分を充実させた第二弾が出たそうなので、こちらも読んでみたいと思います。

親の家を片づける 実践ハンドブック (ゆうゆうブックス)