インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ちょっとちょっと、大丈夫かいな

 日経ビジネスオンラインの記事が面白くて、毎日メールでダイジェストが配信されるたび、ご本家のサイトに行って読んでいます。ホントはさらにご本家の雑誌を買ってあげればいいんだけどね。
 で、今日は『日経ビジネス』編集長の巻頭言がメールに載っていたのですが……。

 日本が科学技術立国を目指すなら、私はぜひ高性能の音声翻訳機の開発に徹底的に人とカネを注ぎ込んでもらいたいと思います。外国人と話をしている時に、リアルタイムで正確に日本語に翻訳してくれるイヤホンや、自分の話し言葉を外国語に変換してくれるマイクがあったら、どれだけ不利を克服できることか。この夢の翻訳機が誕生すれば、日本の立場は一変すると思います。英語教育に時間とカネを注ぎ込むよりも、費用対効果は大きいのではないかと本気で思っています。

 う〜ん、本気で思ってらっしゃるんですか。ちょっとちょっと、大丈夫かいな。
 私は全くの門外漢ですが、大脳生理学や認知科学などの入門書を渉猟するに、人間の脳の働きは従来の予想より格段に複雑であることが明らかにされつつあるようです。加えて通訳には再現不可能なその場限りのシチュエーションが深く関与しています。自動通訳機械の実現は、量子コンピュータでも実現しないと難しいんじゃないかと思います。
 いえ、決して実現不可能とは言いません。現今のこの世の中だって、数十年前からすれば驚天動地の変化で、様々な技術が様々なことを実現させているんですから。
 でも自動通訳機械、それもビジネスの現場で使えるような、さらには一国の立場が有利になるなどというような技術は、世界中のありとあらゆる知的活動・言語活動がリアルタイムに結びつき、過去の膨大かつ完全なアーカイブが瞬時に検索できて、それを各言語の文法や統語法に沿いながら音韻的なしかるべき処理が瞬時に行えて、なおかつ言語以外の音声や周辺の環境や相手の表情などをこれも瞬時に認識して出力にフィードバックするようなハード面がクリアされ……という気の遠くなるような技術革新のあとじゃないと実現しないんじゃないかなあ。
 失礼ながら、仕事の現場で語学を道具として使っている方からは、こんな甘い認識は出てこないんじゃないかと思います。。
 いや、決して「おまんまの食い上げ」になるからという理由で理屈をこねまわしているんじゃありませんよ(^^;)。それに英語が世界を席巻する中で、非英語圏の人々が不当な立場に置かれているという主張には諸手を挙げて賛成なんですけど。
 諸手を挙げて賛成と言えば、同じ今日付けの日経ビジネスオンラインに、ライフネット生命社長の出口治明氏がこんな記事を寄せていました。記事の冒頭部分です。

 18、19歳の女子学生ばかりが500人近く集まりました。フレッシュな彼女たちを前に、私はひとつ質問を投げかけました。

「これからは、英語ができた方がいいと思う人は手を挙げてください」
 ほとんどの人が手を挙げました。
「では、今度は、英語ができるかどうかはどうでもいいと思っている人は手を挙げてください」
 と尋ねると、1人の学生がさっと手を挙げました。

「なぜですか?」
「あと5年か10年で、グーグルが自動翻訳機を作るはずなので、英語ができるかどうかは、どうでもよくなると思います」
 大勢の中でたった1人だけ、違う意見を、しかも正論を堂々と述べる。実に頼もしい。そして、もちろん、私もこの勇気ある女子大生と同意見です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130115/242269/

 う〜ん、同意見なんですか。ちょっとちょっと、大丈夫かいな。
 この記事、全体的には、英語(語学)は道具であって、本当に大切なのは話の中身(コンテンツ)だ、世界の現場で使われている英語は「プア・イングリッシュ」だ、だから語学を極める前にまず自分の中身を極めろといったご主旨です。これは私も諸手を挙げて(しつこい)賛成なんですけど、この冒頭のエピソードはちょっとどうかなあ。
 「グーグルが自動翻訳機を作るはず」などという他力本願マインドな学生を「実に頼もしい」と英雄視して持ち上げるのはちょっと引っかかります。一人だけみんなと違う意見を堂々と述べるというのは英雄視してもいいけど、氏はこの学生の意見を「正論」と評していますから、グーグルうんぬんの部分も含めての評価なのでしょう。
 でもね、人間が、人間たる基本の基本である言語を学ぶことは、短期的なタームでの損得勘定とは相容れない営みじゃないかと私は思います。外語は確かに道具だけれど、それだけじゃない。そこには自分たちとは違う世界観や価値観などがあり、それを学ぶことは他の学問と同様に豊かな人間性の涵養にもつながると思います。それに実現するかどうか怪しい技術に自分の未来を託して、いまここの地道な努力を怠れば、きっとしっぺ返しが来ると思いますよ。
 たとえは悪いかもしれないけど、文革時代に白紙答案で英雄になった張鉄生の話を思い出しました。
 私事ながら、私はライフネット生命の商品や社風にひかれて同社の生命保険に入っているんですけど……ちょっと残念な記事でした。