インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

退職することになりました

 足かけ六年、事務局や非常勤講師をしていた頃から数えると十年以上お世話になった学校を退職することになりました。退職の理由はまあ、いろいろあるんですけど、とりあえず次の仕事を探し始めています。といっても、もうすぐ天命を知るっちゅ〜ようなトシですから、そう簡単に見つかるはずもなく。しばらく現場から遠ざかっていましたからリハビリというか再訓練が必要ですけど、またフリーランスの通訳者に戻ろうと思っています。

これまで大切にしてきたこと

 私は大学で中国関連の学科を専攻したわけではなく、サラリーマンになって、中年に足を踏み入れかかった頃から中国語を学び始めたので、自分が教える立場になったときのポリシーというか方針は比較的はっきりしていました。それは「実利本位」ということです。語学は「使えてナンボ」ですもんね。
 幸い、最初の二年を除いて私が担当したのは、研究課程の、主に通訳や翻訳を学びながら仕事の現場で使える中国語を身につけることを目標にしたクラスと、その他に社会人向けの中国語クラスだったので、「実利本位」に近い立場で教学を考えることができました。これはとてもありがたかったです。アカデミズム的なものを求められたら私の手には余りますし、またその資格もありませんから。
 実際に中国や台湾に住んだり、さまざまなチャイニーズ(中国語圏の人々くらいの意味です)とつきあったりして得た確信の一つは「チャイニーズは日本人の十倍以上いるので、人の種類も十倍以上のバリエーションがある」ということでした。ほとんど拝みたくなるくらい神々しい方がいる一方で、ちょっと言葉は悪いけど「動物的?」な人もいます。まあどこの国や民族もそうでしょうけど、「○○人はこう!」と決めつけられない存在の最たるものがチャイニーズじゃないかと。
 そういう意味では、日本の中国語教育はちょっと偏ってると思います。北に偏ってる。というか、北京一辺倒といってもいいですね。軽声や儿化音をかなり重視してますし、以前ほどじゃないですけど北方方言の語彙が多いですし、簡体字しか教えないし、春節パーティといったら必ずといっていいほど水餃子を作りますし。まあ中国語における「標準語」である“普通話”が北京方言をもとにしているので仕方がないんですけど、基礎段階はともかく、仕事で使うことを照準におさめる段階になったら、もっと幅広い中国語の世界を伝えてもいいと思っていました。
 だから担当していた研究課程では、繁体字の教材もかなりの割合で使い、南の地方の語彙や発音も積極的に聞いたり言ったりすることを推奨してきました。帰国子女の生徒にも、自分が母語だと思っている中国語はもしかすると地方に偏った中国語かもしれない、自分の地方の中国語と標準的な中国語、それに他の地方の中国語へも分け隔てなく関心を寄せ続けるように伝えてきました。
 もうひとつ、中国語以外に自分の日本語もより一層ブラッシュアップするように強調してきました。畢竟、語学として学ぶ第二言語が、自分の母語のレベルを超えることはあり得ないんですから。母語が豊かでなければ第二言語の「伸びしろ」が少なくなる、ということです。
 それから、パソコンやインターネットはもちろん、その他の新しいモノ・コトに貪欲であれとも伝えてきました。この点はいまの若い人のほうがよほどその意味を体現してくれていて、むしろ私の世代以上の方々にこそ危機感が必要なんですが、現代のチャイニーズはその若者のもっと上を行くスピードで新しいモノ・コトを開拓していますから。

功過各半

 当たり前ですけど、この六年間欠勤は一度もありませんでした。授業の開始時間に遅れたことも一度もありませんでした。基本的に、授業の開始前に教室に行き、開始時間と同時に始めることを徹底しました。生徒の疲れ具合を見ながら授業を早めに切り上げたことは多々ありますが。休講が一度もないので生徒には恨まれたかもしれません。でも基本的に休講はなし、というのは私だけでなく、この学校の講師全体によって守られているいわば「鉄則」でした。うちの学校が誇るべき伝統だと思います。
 教材にはできうる限りの工夫をしました。授業時間の何倍もかけて“備課*1”をしましたし、教科書が指定されている授業でも、単に教科書だけ持って「ちゃら〜ん」と教室に行くのではなく*2、できるだけ副教材、それも文字のプリントだけではなく、音声や画像や映像をふんだんに使う授業を心がけていました。そのためにiPodiPad、ノートパソコン、インターネット、テレビモニター、大画面テレビ、プロジェクターなどなどを使って授業を作りました。前例がないので予算がつかず、自腹で用意した機材もたくさんあります。音声教材もパソコンを使って使いやすく練習の効率が上がるように編集し直しました。パワーポイントのアニメーション機能を使って、ビジュアル的に楽しい教材開発も行ってきました。
 中国語は漢字を使うので、同じ漢字文化圏に生きる日本人は中国語の学習においてもとかく漢字に頼る傾向があります。これが多くの日本人学習者に共通する「読めば何となく分かるけど、聞いたり話したりするのはてんで苦手」という状態を作り出している現況だと思い、できるだけ音を聴き・音を発する練習や訓練を数多く作りました。これにはシャドーイングやリピーティング(リプロダクション)、リテンションなどの通訳訓練法が大いに役立ちました。
 「昔取った杵柄」で、黒板に絵を描きながら音を聴く(=文字は一切介在させない)という授業スタイルも作りました。ライブで絵を描いていきながら授業をするので、人には伝えられないし本にもできないし、教学としては個人レベル以上には全く広がりようのないガラパゴス的なメソッドでしたが。
 でも“備課”に時間をかけすぎた分、専任講師としての職責を十分に果たしてこなかった一面もあると思います。専任講師ですからクラス担任をしているのですが、担任が行うべき進路指導・就職指導・生活相談などはいつも後手に回っていたと思います。まあ、義務教育じゃないんだから、本来は生徒が自分の責任で自発的に解決すべきと思っていたふしもなきにしもあらずですが。それから学校の経営についても、これはもう全く積極的ではなかったと思います。ある方に「既存の教材だけを使っていかに授業を料理できるかが教師の腕の見せ所なのよ」と言われたことがありますが、そういう意味では私は、自分のオリジナルにこだわりすぎて結局バランスを欠いた仕事の仕方をしていたのかもしれません。
 それから、いわゆる「ほうれんそう」が決定的に足りなかったと思います。教師という職業はもともとタコツボ化しやすい側面があると思いますが、研究課程という比較的独立した部門の責任者ということも相まって、他の部門の職員と協調して何かを行うということにはあまり意識的ではありませんでした。そのために、私は知らず知らずのうちにあちこちで恨みを買い、不満を溜められ、迷惑もかけ、気がつけば職場内で孤立した立場に置かれていました。今回辞表を提出した際、だれからも慰留はもちろん再考や熟考を促すアドバイスさえなかったことがそれを如実に物語っています。自分では全くそうは思っていなかったのですが、いつの間にか私は「人の心が分からない人間」になってしまっていたようです。まったくもって情けないとしか言いようがありません。
 あとまあ、これが辞職につながる直接の引き金を引いたんですけど、私が筋金入りの「断捨離体質」だったというのがあります。うちの職場は、あくまでも私の感覚ですけど、ものすごく乱雑でモノがよどんでるんですね。だもんで、自分の判断であちこち掃除をしたり片付けたり、不要と思われるモノは捨てたり……ということを積極的にやっていたんですが、全く相談もなく大事なモノを捨てられたということで、あちこちに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。私的には「大事なモノなら誰も触れられるような場所に置いておくな・パソコンのデータは常にバックアップを取っていて当然」ということになるとしても、そうじゃない世界と価値観に生きている人もいるのだという想像力を働かせることができなかったんですね。
 でももう、これ以上ネガティブな言葉は吐きますまい。長年蓄積してきたファイルを削除されるなど実質的にいろいろとご迷惑をおかけしてしまった方々に心からおわびし、あわせて私に教学面で好き勝手に六年間もやらせてくれた学校に心から感謝したいと思います。
 そして、私が急に退職を決めたことで来年度のクラス編成などにてんてこ舞いとなってしまった同僚のみなさんにおわび申し上げます。また卒業式の送辞で「いつでも学校に遊びに来てください。先生たちはいつまでもみなさんを待ってますよ〜」と伝えてきた歴代の卒業生のみなさんにもごめんなさい、です。

さてこれから

 これからのことはまだ何も決まっていません。とりあえず伊勢丹写真室*3で証明書用写真を撮りました(^^)。昨今の写真室はデータもくれるので便利です。でもって、いくつかの転職サイトを中心に多方面にアンテナを張っていますが、さてどうなることやら。
 この六年間、メインに担当してきたのは通訳翻訳教育でしたが、教職が主たる仕事になってしまったので、実際の通訳や翻訳はほとんど開店休業状態でした。もう一つ、通訳スクールでも教えてきましたが、こちらはなおさら「看板に偽りあり」感が強いなあと常々感じていたことでした。というわけで、またフリーランスの通訳業に戻れたらいいなと考えています。このブログの名前「インタプリタ……」もようやくまた「看板に偽りなし」となれるかもしれません。収入は不安定ですけど、まあうちは共働きですし、借金もローンもありませんし、扶養家族もいませんし。開店休業状態からのリハビリなり再訓練なりも簡単じゃないでしょうけど、幸い教学を「かくれみの」に自身の中国語の訓練や通訳訓練は怠らずにやってきましたし、検定試験なども定期的に受けてきましたし*4、また初心に戻って精進したいと思います。
 あとうちは、細君の父上も自分の両親も結構な年齢で、特に母親は徐々に動けなくなりつつありますから、これからもこれまでと同様に都会で好き放題……というわけには早晩行かなくなると思いますし、そうなったら実家に戻ることも考えなきゃいけませんね。
 ともあれ、いまの仕事はいま担任をしているクラスの学生が卒業する今年度いっぱい、つまりこの三月の卒業式まで続けます。その間に次の仕事の仕方を具体化していこうと思っています。
 みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

*1:授業の準備・教材作り。

*2:ま、ネイティブじゃないので、もとより「ちゃら〜ん」とはできないんですけど。

*3:若い就活生であふれてて、びっくり。

*4:教師の身分で受けに行くの、想像以上にプレッシャーがありますです。