インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

教材作り

  一人で通訳訓練をしていて何が一番物足りないかというと、それはリアリティだと思います。教材の棒読みに近い音声を聞いて、それを生き生きと訳出するのって、よほど演じるような気持ちがないと長続きしません。あまりにも「作り物」感が強くて、途中でなんだかバカバカしくなっちゃいますから。それに聞き手がいないので全く緊張しないというのも臨場感に欠けます。
  通訳スクールに通う意義は、ここにもあると思います。
  というわけで通訳の授業では、できる限り映像つきの「生」音声を使い、授業の準備もできる限り本当の仕事を受けたような気分になるよう、私がエージェント役になって仕事のオファーメールを出したり、クライアントから提供された(という設定で私が自作した)パワポ資料を出したりしてきました。
  でもこれ、授業の準備にとんでもなく時間がかかるんですよね。それこそ休日返上で、家庭を犠牲にして作ったりして。それでいて生徒の側に教学上の効果が現れるかというと、それには疑問符がつきます。どれほどリアリティを追求して授業をしても、そこはそれ、教室で、十数人が交代でパフォーマンスを発表するわけですから、その時点で既に全然「リアル」じゃありません。「リアル」な訓練というならOJTや実際の仕事の方が何倍も効果があるわけで。
  それにだいたい、きょうびの生徒は簡単に授業を休んじゃいますから、「あの人たちのために!」って力を入れて作って、肩すかしをくうこともままあります。
  もとより即効性(そこまで検証していない)や他人からの感謝を期待してやってるわけじゃありませんからいいんですけど、何だか最近、歳のせいかこういう教材の作り方に身体がついて行かなくなりました。こんなこと続けていると著しく健康を害しそうです。
  本務校での中国語の授業も似たような状況です。一応学校から指定された教科書を使っていますが、それだけでは足らないと思って自作の教材をかなり作っています。しかも、その時点で参加している生徒の状況に応じて毎回細かく改変したりして。でも、これもなかなか大変。
  社会人クラスには様々な業種の様々な人生経験をされてきた方がいて、私と同様、授業の準備にかなり時間をかけるタイプの同僚は、かつて年配の生徒さんにこんなことを言われたそうです。

健康を害さず、長く仕事を続けていけるのもプロの条件ですよ。

  う〜ん、限られた教材でも、それなりに効果が上がるような教え方を展開できるのがプロということでしょうか。「ワタシ的に納得がいかない」などと若造のようなことを言って無制限に「凝りに凝った教材」を追求していたら、そりゃ時間もかかろうし健康も害そうというものです。
  それに、んな「入魂」の熱い教材をぶつけられる生徒だって、ある意味迷惑かもしれませんしね。
  先日通勤電車でポッドキャストの落語を聞いていたら、春風亭一之輔さんがマクラでこんなことを言ってました。

なんとなくこう(ポッドキャストで)配信されるとなると、みんな一生懸命、いっぱい稽古して、これを、俺の落語をみんなに聞いてもらいたい、全世界に配信してくれ! という、もう力いっぱいのものをここでぶつけるという、私もそういうことを今までしてきました……。
今日は、それをやめたいなと思います(笑)。まあ何となく力の抜けたところでね、おつきあいをいただければなと。

  わはは、なんだか心に沁みます。もう少し肩の力を抜くことにしましょう。