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インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

心に残る話しかた

中国語ジャーナル 2007年 09月号 [雑誌]
  『中国語ジャーナル』の九月号に、塚本慶一氏へのインタビューが掲載されている。
  いつも通訳訓練に使えるような音声素材を探しているので、これは! と思ってさっそく聞いてみたのだが、ううむ、残念だけれど使えそうにない。
  アルクがなぜこういうインタビューにしたのかは分からないけれど、インタビュアーと塚本氏の発言がまるで別々に録音してつなぎ合わせたかのようにかみ合っていないのだ。いや質問に対する答えという意味ではもちろんかみ合っている。けれど対話という感じがまったくしなくて、それぞれが校正に校正を重ねた、まるで吟醸酒のような文章を高速で読み上げているような感じなのだ。
  もちろんそこはそれ、プロのインタビュアーにプロの通訳者だから、棒読みなどするはずはない。とても流暢な中国語なのだが、冗語が全くなくて、情報がぎっしり詰まっていて、“游刃有餘”とか“孜孜不倦”とか“引以為榮”とか“文人墨客”とか“受益匪淺”とか“歷歷在目”などと格調が高い。高すぎる。
  もっと自然な雰囲気で、通訳者として第一線で活躍してこられた塚本氏の人となりが分かるような、親しみやすいインタビューだったら楽しかったのにと思う。たぶん原稿を用意してそれを読まれたのだろうなあ。
  用意した原稿を読んでいるのか、それとも大まかなプロットだけは決めてあっても基本的に自由にしゃべっているのかは、聞けばだいたい判断できる。話に引き込まれるのはもちろん後者だ。そして通訳訓練をしていて楽しいのも後者*1
  Chinesepod.comのポッドキャスト番組は通勤時の友としていつも聞いているが、これは「本日の対話」に入る前の二人の掛け合いがとても聞きやすくておもしろい。話し方が自然で、無理がなく、心が伝わってくる。単語の意味を説明するときなど、絶妙な解説が次々に飛び出して、パラフレーズ*2のお手本とさえ言える。
  ところが対話に入ったとたん、生気がなくなってしまう。いや、芝居っ気という点では対話前の掛け合いより数段アップしていて、表情豊かなのだが、原稿をもとにしている会話だというのが一目瞭然(一耳瞭然?)だ。作り物の会話だから、あまり引き込まれない。
  そこへいくと“反波”の魅力は群を抜いている。平客という名前のキャスターが主にしゃべっているのだが、とても生き生きしたしゃべり方で、適度に棘や毒があって、とても楽しい。
  平客氏の「しゃべり」には冗語がほとんどないし、言いよどみや言いかえも全くないから、かなり緻密な準備をしているものと思われる。なのにあれほど生き生きと話すことができるというのは驚異的だ。話す訓練を相当積み重ねてきた人ではないだろうか。

*1:ただし、訓練していて楽しい、咀嚼しやすい素材ばかり使えばいいかというと、そうでもない。

*2:他の言葉で言い換えること。臨機応変な対応ができるよう、通訳訓練にも用いられている。