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インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳スクール

  今日は訓練の前に腹式呼吸や発声法などの簡単な紹介をした。

  私自身、アナウンス訓練やボイストレーニングの専門家ではないので、以前アナウンス学校に通った時の経験と、かつて演劇訓練で学んだことを紹介するだけだ。それでも、普段の通訳訓練で、最後のデリバリーさえしっかりすればずいぶん良くなるのに、という生徒さんが多いので試みにやってみた。
  その後、ビデオカメラを使って生徒さんのパフォーマンスを撮影。通訳する音声は先週一度訓練したものだから、大体の内容はつかめているはず。そこで余力は発音や発声に振り向けてもらおうという趣向だ。
  みなさんカメラの前で緊張して、あまりいきいきとしたパフォーマンスは見られなかった。でもまあ、こうした機会を通して自分が人から(逐次通訳の場合はクライアントや聴衆から)どう見えているか、自分の声がどう聞こえているかを客観的に見つめるのは大切だと思う。
  中国語のネイティブスピーカーで数名、聴き取りはほとんど問題なく(まあ当然だ)、日本語に訳した段階でもほとんど取りこぼしがないのに、デリバリーが極端に悪くて苦労している生徒さんがいる。課題は声の小ささや暗さだったり、「語尾上げ」だったり、時に日本語の文法(てにをは)だったりするのだが、共通しているのはどうも一つ一つの言葉にとらわれて、文章を頭から翻訳しようとしていることのようだ。つまりメモした内容に一つ一つ訳語を当てはめ、文章を構成しようとしている。それで時間がかかり、冗語や言い直しの極端に多いデリバリーになってしまっているのだ。
  そこで、少しくらい取りこぼしたり誤訳したりしてもいいから、今聴いた発言でこの人が大体どんなことを言おうとしていたか、自分の言葉でサマライズしてみてくださいと言ってみた。
  そうしたら、ある生徒さんはこれまでよりはずっと聞きやすい訳出になった。本人いわく、あまりメモに頼らず、自分の記憶だけを元にしゃべってみたそうだ。とりあえずはそれでいいと思う。ただし、これが行き過ぎると傲慢な「なんちゃって通訳」に陥りがちだから注意が必要だ。「ま、だいたいこんなもんでしょ」という姿勢の訳出は、たどたどしい訳出とおなじくらい聞いていてつらい。