インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇

留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇
  アメリカと日本の大学の違いを紹介し、安易な留学計画に潜む落とし穴を縷々解説した本。
  約四千校もあるアメリカの大学には、私立の名門校のほか、日本の公立大学とはずいぶん趣の異なる「州立大学」、「全人教育」を目的としたリベラルアーツ・カレッジ、誰でも入れる二年生のコミュニティ・カレッジなど様々な種類があることを初めて知った。
  以前「日本の大学に落ちたから、中国の大学にでも」という親から相談を受けたことがある。将来性がありそうな北京語を学ばせた上、あわよくば英語も……という親の青写真には開いた口がふさがらなかったが、実際にそんな青写真を提示して生徒を募集する留学エージェントもいるらしい。ほとんど全入時代に突入した日本の大学にも受からないというのはどういうことなのか、二つの第二言語を同時に学ぶ無謀さをどう考えるのか、などなどツッコミどころはたくさんあるのだが、一言だけ。
  「ご本人にやる気があるんですか」。これにつきると思う。
  この本ではしかし、本人に十分なやる気があってもそれを開花させられないほど劣悪な環境にある大学の実態や、十分な調査もせずに留学エージェントの言いなりになってしまう危険性なども多数紹介されている。
  また「英語ができる」イコール「頭がよい」ではないこと、「英語を学ぶ」のではなく「英語で何を学ぶのか」が重要だということ、幼児からのバイリンガル教育に対する警鐘なども盛り込まれている*1。すでに数多くの論者が同じような主張をしているのだが、いまだに多くの日本人が幻想からさめてないんだなあ。

*1:ただし一点だけ、父親が中国人で母親が日本人、夫が英国人という香港在住の中国人が、自分の子供に日本語で話しかけているというエピソードが紹介されているが、これは「?」と思った。その人いわく「教えるのが一番難しい言葉が何か、知ってます? 日本語なんですよ。だからまず日本語を覚えてもらわなくちゃ。英語や中国語は後からでも大丈夫なんですから」。これを早期英語教育に夢中になっている日本の親たちへの批判として使っているのだが、ちょっと意味がよく分からない。母語というものをどう考えているのかな。