インタプリタかなくぎ流

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  第二次世界大戦末期、軍用機増産のために台湾各地から集められ、神奈川県大和市の「空C廠(のちの高座海軍工廠)」に送られた少年たち。技術を学び、学校の卒業資格が与えられて台湾に戻れば、技術者として働くことができると約八千名の少年が来日したという。
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  基礎訓練の後、日本各地の飛行機工場に派遣された少年工たちは、「雷電」や「紫電改」などの軍用機生産に従事。だがまもなく日本の敗戦を迎え、運命を狂わされてしまう。
  現在も台湾や日本などで健在の、元少年工の人たちを取材してまわり、多くの資料や映像を交えながら少年工の歴史をたどる映画。声高にではなく、抑えたトーンで当時の様子やその後の人生を丹念に追っている。映像作品としても、とても洗練されていると思った。
  上映後に郭亮吟監督の講演もあって、台湾での上映会の様子が興味深かった。上映会には元少年工の老人が詰めかけ、上映後には会場の若い世代との意見交換や討論が活発に行われているそうだ。
  戦時中に日本の教育を受けた世代は母語台湾語(あるいは客家語)と日本語で、國語(北京語)による教育を受けた世代とのギャップが少なからず存在するという。この問題は、その後に上映と公演が行われた柳本通彦氏の作品に登場する「高砂義勇兵」の場合もっと深刻だ。台湾の先住民族であるアミ族のお年寄りの場合、母語がアミ語と日本語、その子や孫といった戦後世代は國語。もちろん多少のアミ語を互いに共有はしているとはいえ、自分の郷里にありがならこのお年寄りたちは言語的に孤立してしまっているのだ。
  日本が台湾を統治していた時代、植民地化の一方で日本が教育を整備したことをことさらに称揚する向きがあるけれど、「日本が教育を持ち込んだことが先住民族の民族教育・家庭教育を断ち切ってしまった、という側面を忘れてはならない」と柳本氏は言っていた。