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下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち
  フロムの『自由からの逃走』ならぬ、「学びからの逃走」、「労働からの逃走」を主題にした本。ここ数年巷間を賑わせている「格差」とか「勝ち組・負け組」といったキーワードにも連なるものだ。
  「学びからの逃走」を取り上げた部分は、著者が勤務している大学の実情も織り込みながら、かなり衝撃的な報告がなされる。学校現場じゃすでに当然のこととして受け止められているのかもしれないけれど、特に「分からないことがあっても気にならない」、「意味が分からないことにストレスを感じない」、「無知のままでいることに生きる不安を感じずにいられる」という人々の存在は、ものすごく怖いと思った。
  「学びは市場原理によって基礎づけることができない」
  「子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではない」
  「『自分探しの旅』のほんとうの目的は、私についてのこれまでの外部評価をリセットすることにある」
  「『自己決定・自己責任論』が捨て値で未来を売り払う子どもたちを大量に生み出している」
  「労働というのは本質的にオーバーアチーブである*1
  ……といった「箴言」にあふれている本だから、いきおい眉にちょいと唾をつけてしまう人も多いかもしれない。それに解決に向けての具体的な提案としては、ほとんど「かつてのような親密な人間関係や師弟関係を復活させるしかない」というのと、「『あとから大変だよ』と諭すお節介を焼き続けるしかない」というくらいなので、前半の説得力ある論旨からすると拍子抜けするかもしれない。
  それでもとても読み応えがあったし、かつて「プチひきこもり」も「自分探しの旅」も経験済み(笑)の自分自身を振り返って、かなり痛いところを突かれたなと思った。等価交換や経済合理性で教育や労働を語っちゃいけない、というのがとても力強くシンプルにひびく。この主張は、本文ではその名を言及されていないけれど、藤原正彦氏にかなり近いものがある。

*1:労働は等価交換ではなく、常に報酬以上のものを作り出してしまう。そしてその余剰部分は個人から社会への「贈り物」である……だそうだ。